中日春秋
2011年6月30日
 このごろは、とんと聞かないけれど、ひところ、「指示待ち世代」という言葉がよく使われた
▼若者世代に、自発的な行動が苦手という傾向を見てとった、おじさん世代が、その歯がゆさを表現した流行語だったように思う。だが、そのころのサラリーマン川柳には、こんな作品もある。<指示待ちの上司の下で指示を待ち>
▼その川柳や俳句という日本の誇る短詩が、自由に詠め、ではなく、五・七・五で作れ、という「指示」を内包していることにも思いが及ぶ。自由にやれと言われるより、そっちの方が力を発揮できるという傾きは、時代、世代を限らず、どうも、わが国民性のようにも思える
▼今、私たちは分岐点にいる。地震大国に原発を抱えていることの怖さは肌身に知った。だが、資源小国で、今すぐそれに代わるエネルギーはない。さて、どうするか-
▼それは無論、難問だが、換言すれば、「エネルギーの新たな選択肢を描き出せ」という、日本の科学技術陣に対する、すこぶる明快な“指示”だといえないか。白紙に自由に描けというより、よほど、その突破力に期待ができる環境だ
▼第一、新エネルギーにしろ省エネにしろ、既に芽はたくさんある。資源小国だから「あきらめる」か、資源小国だから「創り出す」か。後者の道を選ぶなら、あとは、政治による文字通りの「指示」が必要なだけである。