中日春秋
2011年6月23日
 「我慢」という言葉は面妖である。字から受けるのは、むしろ自己中心的な感じ。手元の辞書を引けば、やはり第一義は「高慢」で、次に「強情」と。最後にやっとまるで正反対の「耐え忍ぶ」が出てくる
▼ところで、日本世論調査会の最近の世論調査結果の中で、「八割」という数字には少々驚いた。原発廃止の方向を望む人が八割を超えたことにではない。電力不足を不安視しつつ、それで暮らしが不便になることを「受け入れられる」とした人が八割に達したことに、である
▼「3・11」以降しばしば言われてきたのは、日本人の価値観の本質的な転換の契機になるのでは、ということだった。この「不便を受け入れる」という思潮に、その萌芽(ほうが)を感じるといったら大げさだろうか
▼だが、電気を自由気ままに使って、便利を謳歌(おうか)する暮らしに慣れきってきた私たちだ。それを自ら我慢するという意味は大きい。そして古代ギリシャの格言にある通りかもしれない。<自制できぬうちは自由とは言えぬ>
▼この調査結果は「脱原発」のうねりが、決して感情的爆発などでないことを示している。冷静にデメリットもとらえ、それを承知でなお、という人々の覚悟といってもいい
▼即(すなわ)ち、それを「集団ヒステリー」と呼んだ誰かさんの表現はいかにも“我慢”だったということだ。もちろん、辞書の第一の意味で、だが。