中日春秋
2011年6月14日
 昼間の星や、タンポポの根っこを<見えぬけれどもあるんだよ>と、やさしく詠(うた)ったのは、金子みすゞである
▼その叙情性とは、あまりに隔たりがあるけれど、福島第一原発にたまり続けている水も、別に、どす黒い色をしているわけではない。だが、放射能の汚れは<見えぬけれどもある>。だからこそ、その処理に四苦八苦しているのが現状だ
▼原子炉冷却のため注水したことなどにより、タービン建屋地下などにたまった高濃度放射能汚染水は十万トン余。現状のままだと近々にも海にあふれ出す恐れがある。そこで今、頼みの綱となっているのが、水の放射能濃度を最大一万分の一にできるという浄化装置である
▼うまくいけば、浄化水を原子炉冷却に再利用する循環ができる。ところが試運転を始めた途端、水漏れがみつかり中断。早くもつまずいた。“溢水(いっすい)”の危機が迫る中、懸命の修理が続くが、たとえ稼働したとしても、期待通りの効率で浄化できなければ、循環の思惑は崩れかねない
▼さらに、浄化装置がうまく稼働すればしたで、やはり放射能汚染された危険な汚泥が発生するのだという。その確立した処理法もなく、今度はその対処が難題に…。まさに次から次、だ
▼人々の不安は、三カ月たっても事故対応の出口が見えぬことにある。誰か、せめて言ってくれないか。<見えぬけれどもあるんだよ>と。