中日春秋
2011年3月29日
 生きるのに必要なものとは何か。食料、水、医薬品…いろいろあるだろう。なお、そういう死活的な物の不足に苦しんでいるのが今の震災被災地で、まず、それを何とかしなければならないのは当然だ
▼だが、フランスの思想家ボルテールは「余計なものこそ、とても必要なのだ」と言った。たとえば、音楽や文学、映画やスポーツ観戦などの娯楽は、それがなくても生きてはいける。けれど、体がそれを必要とするように心にも栄養は必要のはずだ
▼昨日、選抜高校野球に、東北高校(宮城県)が登場した。ある選手は震災直後、「野球なんかしていていいのか」と自問したという。あの惨禍だ。“余計なもの”に思えても不思議ではない
▼だが、出場が決まり、彼は帽子のつばの裏に「宮城県孝行」と書いて試合に臨んだ。ただ、晴れの舞台を楽しむわけにはいかない、という選手らの痛々しいまでの思いが伝わる
▼結果は、優勝候補の大垣日大に完敗。しかし、彼らが、甲子園にいて懸命に野球をしているという、そのこと自体がどれほどの「被災地孝行」になったか。テレビの中の全力疾走が、避難者の空腹を満たすわけではない。だが、苦難の中にある、どれほどの人の心の栄養になったか
▼まずは文字どおりの必需品。でも、被災地の暮らしの中に、少しずつでも「余計なもの」を増やしていくのも大事だと思う。