中日春秋
2010年3月14日
 「勇猛の大半は慎重さが占める」と言ったのは確かシェークスピアだ。蓋(けだ)しすぐれた統治者とは、一面、ひどく慎重な質(たち)でなければならないのだろう
▼ローマ帝国の礎を築いた初代皇帝アウグストゥスは、まさにそうだったようだ。暗殺された養父カエサルの轍(てつ)を踏まぬよう細心の注意を払いながら「黄金時代」と呼ばれる繁栄を実現した
▼人は偉くなると、偉そうな肩書も欲するものだが、アウグストゥスは逆。君主然とした肩書は持たず、常に「王」ではなく、あくまで、市民の「プリンケプス(第一人者)」だと機会あるごとに宣言したという
▼その時代の栄華を伝える『大ローマ展』(愛知県美術館、二十二日まで)をのぞいた。彫像や装飾品から、水道の弁まで様々(さまざま)な品が並ぶ。ポンペイで発掘された住宅壁画や、その本来の様子を再現した映像も
▼死後つくられた見事なアウグストゥス像もある。生前は、肩書だけでなく自像の様式さえ「偉そうに見えない」ことにこだわったらしい。政治でも、元老院を立て、形式上は共和政の伝統に敬意を払った。その実、すべての権限を自分で握っていったのだが
▼どう見られるか-。常に自己を客観視することこそ、統治の要と心得ていたのだろう。わが国にも、退陣会見で「私は自分を客観的に見られるんです!」と叫んだ宰相があったけれど、あれはまた、別の話。