中日春秋
2009年12月29日
 へぼを七段か八段重ねたような碁だが、上手な人と打つ度に感じるのは、囲碁ほど「守り」と「攻め」の境界が曖昧(あいまい)なゲームはないのではないかということだ
▼こちらはいい気分で攻めているつもり。即(すなわ)ち、相手に守らせているつもり。ところが、やがて愕然(がくぜん)。気がつけば、守っていると思っていた相手の石に、こちらが手ひどく攻められている…。そんなことがよく起きる
▼このクリスマスに、米デルタ航空機で爆破未遂事件があった。あの「9・11」以来、米国、飛行機とくれば、水も漏らさぬセキュリティーが確立されているものと思っていたけれど、案外、たやすく高性能爆薬が機内に持ち込まれていた
▼そう言えば、少し前には“招かれざる”バージニア州の夫婦がホワイトハウスの公式夕食会にまぎれ込む騒動もあった。国の中枢も中枢のセキュリティーでさえこう。多分、完璧(かんぺき)な「守り」とは幻想なのだろう
▼だが、囲碁とは違った意味で「守り」と「攻め」の境界が曖昧な国のことだ。アルカイダが関係しているともされる、あのデルタ機の事件が未遂でなかったら、と思うと心底、ぞっとする。直接被害だけでなく、またぞろ「守る」ために「攻める」という話になりはしなかったか、と
▼前政権とは外交面で一線を画すオバマ政権だ。しまい込んだ「テロとの戦い」の看板に再登場の機会が来ぬよう願う。