【ただの独り言(深夜モード)】
(本当は別のことを書くつもりだったけど…今日は昨日の投稿で思い出したことにしよう…)
特に大したことは書かない+少しふざけモードになりますので…
ふざけモードが嫌な方・興味のない方は、そのままスルーしてくださいm(_ _)m(ちなみに流れ的に過去に書いたことをまた書いてしまうことになるので、何度か読んだからもう良いかな、と思われる方もスルーしてくださいm(_ _)m)
「おふざけキャラ」←(時々、昔の自分に戻りたくなる、というね…)
個人的に今回は過去のおさらいのような感じなので、あまり読む必要性はないですかね。
(この独特な空間と同化していますね…!)
アルバム『ホログラムを登る男』で歌われているテーマは、「社会の裏に潜んで人々に偽りの現実を見せ彼らを無限に働かせる存在とその監視の目からの脱却」だと思われます。
『アディオス』はその序章で、「さあ目を覚まし嘘の世界にさよならを言おう」というようなものなんじゃないでしょうか。それでは歌詞を追いながら一つずつ解釈していきましょう。
千年の断章を閉じ
ああ憂える弁士 うなだれ
はしゃいでは まろびつ落ちる
ああヒト科の晚夏 終章
これまで語り継がれてきた長い歴史の物語から、民衆の指導者にとって都合がいい断片だけを取り出し、そこから彼自身が作り出した存在しない悲劇に憂いうなだれて人々にも存在しない焦りを植え付ける。「いまのままではだめなんだ」と。そうやって慌てふためいては転げ落ちるを繰り返すばかりの人間は、もう生物としての終わりを迎えているんじゃないか。
こんな感じで解釈できるのではないでしょうか。
晩年を悔恨に染め
ああ怯える尊師 号泣
叫んでも奇跡は来ない
ああ長者の跋扈は連綿
存在しない悲劇への憎悪と恐怖で尊ぶべき人(聖職者)は泣き叫ぶが奇跡など起きやしない(起きる必要もない)。社会の長(権威者)が為すこのような好き勝手は今もまだ続いている。
罵詈 喝采 罵詈 喝采
アディオス 順風 多難
イリュージョン
民衆を従わせるための呪文、行動・思考が思い通りに操作できなければ罵詈、自分の信奉者になれば喝采。そんな呪文で作られた順風と多難のイリュージョンからは「アディオス」しよう。
私たちは生きている中で必ず山や谷に直面します。ですがその多くは指導者により作られた虚実なのです。その作られた「失敗」と「成功」の錯覚こそが私たちを従順な存在へと成り下がらせるのです。
煌々と燃え上がる塔
ああ驕れる人士 逃亡
荒んでもキミはまだキミ
ああヒト科の本義 堂々
一番二番で現状を嘆いて、三番ではその打破といったところですかね。
「人士」とは「地位や教養のある人」のことです。
せっかく建てた塔はきらきらと光輝きながら燃え上がり、自らの地位に驕っていた指導者たちは逃げ出す。
一度は彼らに染め上げられ荒んだキミだが、キミはまだキミである。今こそ人間の本当の意義を堂々と胸を張って誇示する時だ。
塔とはおそらく指導者たちが民衆を従えて作り上げた「常識」や「普通」という共通意識のことでしょう。そのような、人にとってまったく意義とならないような塔が燃えることは良いことで、それゆえにきらびやかに燃えるのだと思います。
如実の街 家 家 家
アディオス
置いて行こう悲劇の遺影
行こう どこかでは
荒んでもキミはまだキミ
アディオス
濡れていこう 清廉の雨
最後です。
今住んでいる街は指導者たちが見せている偽物の街だ(インタライブ「WORLD CELL 2015」で登場した「光学都市」)。虚実の悲劇など置いて本当の故郷に帰ろう。大丈夫、ここじゃないところならキミはキミだ。さあアディオスと言って、雨に打たれて今までの汚れを落して行こうじゃないか。
なんといってもサビはやっぱりきれいですね。ブログを書いていてこの曲の良さに改めて気づかされました。