The Passion of  the Christ


 ザ・パッション・オブ・ザ・クライスト


 キリストの受難(意味)


 パッション(邦題) 


 全編(アラム語・ラテン語・ヘブライ語) 





 2004年・U.S.A 映画




 監督・脚本
 「メル・ギブソン」

 脚本
 「ベネディクト・フィッツジェラルド」

 音楽
 「ジョン・デブニー」

 撮影
 「キャレブ・デシャネル」



 
















 出演

 「ジム・カヴィーゼル」
 (イエス・キリスト)

 「モニカ・ベルッチ」
 (マグダラのマリア)

 「マヤ・モルゲンステイン」
 (マリア、イエスの母・聖母マリア)

 「ロザリンダ・チェレンターノ」
 (サタン)

 「フリスト・デ・ジフコフ」
 (ヨハネ、キリストの弟子)

 「フリスト・デ・ヴィート」
 (ペトロ)

 「ルカ・リオネッロ」
 (イスカリアのユダ、裏切り者)

 「マッティア・スブラージャ」
 (カイアファ)




 (前段)

 イエスは、ユダヤ教のラビ(教師)であったが、独自の思想により、イエスを信奉する多くの人々が現れた。
 ユダヤ教では異端者となったイエスは、自分の新興宗教の教義を解く。
 それに、激怒したユダヤ教のラビたちは、イエスが、自分がユダヤ教のメシア(救世主)と名乗っているとし、ヤハウェ(ユダヤ教の神)を冒涜しているとし、糾弾した。


 ユダヤの民衆は、イエスの処刑を求めた。



 エルサレム市街、ライオン門付近。

 イエスは、民衆たちから処刑を求められた。
 ローマの総督「Pontius Pilatus」「ポンテオ・ピラト」は、彼らの叫びを聴いている。
 「Pesach」「ペサハ」過越であったので、恩赦が認められていた。民衆は、「Zealot」「ゼロテ派」の罪人であった、バラバ・イエス(殺人もしたと言われる)彼は、ゼロテの武闘派であった、バラバを恩赦で釈放する代わりに、イエスを処刑するというものだった。
 ポンテオ・ピラト総督は、イエスに処刑を命ずる。


 これから、イエスの『Via Dolorosa』『ヴィア・ドロローサ』苦難の道が始まる。
 ヴィア・ドロローサとは、イエスがゴルゴダの丘ヘ、十字架を背負い歩いて行く道(階段)である。


 エルサレム市街、聖ステパノ門近くにある教会の前でイエスは鞭打ちの刑を受ける。
 鞭打ちの刑は、ユダヤ教の律法で40回以上打ってはいけないとされている。イエスは、上限いっぱいの39回の鞭打ち打たれた。血だらけになるイエス。
 現在は、その教会は『鞭打ちの教会』と呼ばれている。


 鞭打ちの刑を受けたイエスは、今度は、木製の十字架を背負わされて、ゴルゴダの丘に続く道(階段)を登って行く。


 ヴィア・ドロローサとは、14箇所の留(ステーション)があり、その14箇所でイエスはつまづいて倒れたり、母のマリアに会ったりしながらゴルゴダの丘に向かう。
 ゴルゴダの丘は、ユダヤの市民が観ることのできる公開処刑場だった。


 ゴルゴダの丘

 十字架を背負ったイエスは、手のひら(実際には手首)と足首に杭を打たれ磔(ハリツケ)にされる。
 その後、槍で身体を突かれる。
 イエスは、長時間苦しみ死んでいった。
 イエスが天に召された瞬間である。


 母のマリア、マグダラのマリアや、イエスの弟子たちによって十字架からおろされたイエスは埋葬される。

 そして、イエスの予言通りに3日目に、イエスは復活をとげて現世にふたたび降臨した。・・・・



 ※この『パッション』は、キリスト教徒なら誰でも知っている『キリストの受難』の最期を描いた映画です。イスラエルの昔の言葉とラテン語にこだわったメル・ギブソン監督ですが、みなストーリーを知っているからねらってこの言語で映画を作ったようです。
 ストーリーは、このようなもので、絵画になった絵を切り抜いたような構図の画作りをしている、もちろん重厚な作品ですが、僕があえて⭐をつけなかったのは、映画が反ユダヤ的な描き方をしているからです。
 現実には、ユダヤ人のイエスをユダヤ人が処刑したので、決して外国人をユダヤ人が処刑(虐殺)したわけではないということです。僕は、反ユダヤ的な描き方に違和感を感じました。

 僕は、若い頃にイスラエルに旅して、イエスのゆかりの地を歩いて来ました。
 イエスのこともユダヤ教のことも僕なりに勉強してきたつもりです。

 ナザレのイエスのことは、僕なりの記事にしようと考えています。