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Requiem for a Dream
夢のための安息を(意味)
レクイエム・フォー・ドリーム(邦題)
2000年・U.S.A 映画。
脚本・監督
「ダーレン・アロノフスキー」
脚本
「ヒューバート・セルビー・ジュニア」
音楽
「クリント・マンセル」
撮影
「マシュー・リバティーク」
出演
「ジャレッド・レト」
(ハリー・ゴールドファーブ)
「エレン・バースティン」
(サラ・ゴールドファーブ)
「ジェニファー・コネリー」
(マリオン・シルヴァー)
「マーロン・ウェイアンズ」
(タイロン・ラヴ)
「クリストファー・マクドナルド」
(タフィー・ティボンズ)
ニューヨーク、ブルックリン・コニーアイランド。
"Brighton Beach” ブライトン・ビーチのアパートで、一人暮らしをしている未亡人のサラ・ゴールドファーブは、一日中テレビばかり観ている。そんな自堕落な生活を送っていた。
サラの一人息子、ハリーは定職につかず親友のタイロン・ラヴと恋人のマリオン・シルヴァーの3人はヘロインに溺れ、すでにヘロイン中毒になっていた。
そんなある日、サラはTV番組で、視聴者参加型番組の当選電話を受け、自分の持っていたドレスで出演しようとしたが、そのドレスが太ったおかげで入らない。
サラは、ダイエットをしたがダメで友人の紹介でクリニックに行き、ダイエット・ピルを処方してもらった。
ヘロイン中毒になったハリーとタイロンは、自分たちがドラッグを手に入れる資金づくりのためもあり、ヘロインのディーラー(麻薬密売人)になった。彼らは、そこまで落ちていった。
ハリーは、サラの様子がおかしいことに気づき、母親を観察していると、スピード(覚醒剤)の中毒特有の症状が出ていることに気づいた。
あの、ダイエット・ピルは覚醒剤だった。
ハリーは、母親にダイエット・ピルを止めさせようとするがうまくいかない。
それどころか、サラはドラッグの量そのものがコントロールできなくなり大量摂取する。
サラは、テレビの出演どころか重度の精神病性障害になり、いわゆる『廃人』になってしまった。
サラは、強制的に精神病院に処置入院されてしまう。
ハリーとタイロンは、ヘロイン密売で新興勢力のイタリアン・マフィアとトラブルになり、ヘロインの仕入れができなくなった。
しかも、マフィア同士の抗争に巻き込まれタイロンが逮捕される。
ハリーは、ヘロイン密売で稼いだ金でタイロンの保釈金を用意し、彼をなんとか拘置所からだした。
ハリーとタイロンは、ブルックリンのコニーアイランドをすてて、フロリダに行きヘロインのディーラーを続けることにしたが、ハリーは、度重なるヘロイン摂取で、静脈注射を繰り返したことが原因で腕に細菌感染症をおこし、最終的には左腕切断になった。
タイロンも、ハリーの病院に付き添ったことで彼らは、病院から警察に通報され逮捕される。
結局、二人は刑務所に投獄される。
タイロンは、白人の看守から差別をうけ、いじめられて強制労働を強いられハリーもタイロンも落ちるところまで落ちた。
一方、ハリーの恋人だったマリオンは、ヘロインを手に入れるために売春をし、彼女も最後は地下クラブの凌辱プレイ(セックス・ショー)の見世物になる。
マリオンも落ちるところまで落ちた。
マリオンは、家に帰ると、ヘロインの入ったスコアを握りしめる。
サラは、美しいゲームショーノンストップ勝者として息子のハリーと抱き合っている。
それは、サラの願望なのか?ドラッグの幻覚なのか?もう、わからない・・・。
※この作品は観ることが不快になるレベルの映画なので紹介をためらいましたが、ダーレン・アロノフスキー監督の作品ということで紹介しましたが、僕の記事でも監督の映画を紹介しましたが駄作もある監督なのですが、この作品が駄作であるかは観た人の感覚にもよります。ストーリーは、麻薬中毒に対して逆説的に良くないと言っている作品ではなく。現象として麻薬中毒者を扱っています。
監督が見せたかったモノを僕なりに考えると映像そのものが幻覚のような画作りをしていて、それだけが監督が観客に見せたかったモノとしか捉えられませんでした。
僕のスペイン留学の経験ですが、日本人には、捉えられない、カトリック教徒の罪のような世界を表現することが多いダーレン・アロノフスキー監督です。
この作品もカトリック教徒的(逆説的)な要素を感じる作品で、僕はこのカトリック教徒的な要素が他の人よりも理解できるので見れますが、一般的な日本にむけた作品ではありません。
なので、僕の独自の訳として、レクイエムは鎮魂曲と日本では訳されますが、カトリック教会的な訳を考えると、レクイエムに安息という意味があり、僕は『夢のための安息を』と訳しました。
信仰と堕落について興味がある人は、ぜひ観てください。