Assassination of
Robert F. Kennedy
ロバート・F・ケネディ暗殺事件。
1968.6.5の26時間。
Part. 2
『1968年6月5日 アンバサダーホテル・ボールルーム』
1968年6月5日、ロサンゼルス・ミッドウィルシャーにあるアンバサダーホテル、大使館室・ボールルームで午前0時2分に選挙運動支持者に演説をしている"Bobby” ボビー(ロバート・F・ケネディ)のことは、元FBIのエージェント(特別捜査官)のウィリアム・バリーと非公式のボディーガード、レイファー・ジョンソンとロージー・グリアーのたった3人で警護していた。
『午前0時15分頃』
午前0時15分頃にボビーの演説が終わる。
ボビーは、次の集会に行く途中で、時間もなく予定を変更する。
このボビーの民主党予備選挙を取り仕切っていたのは、フレッド・ダットンだ。
Frederick Gary Dutton
フレデリック・ゲイリー・ダットン(フレッド・ダットン)
フレッド・ダットンは、ジョン・F・ケネディ大統領時代は、特別補佐官をしていた。
ロバート・F・ケネディの民主党予備選挙運動のリーダー(責任者)をしている。
フレッド・ダットンは、ホテルのキッチンとパントリーを通り抜けてプレスエリアに行くことを指示する。
ボビーが移動しようとすると、ダットンがそれを静止して「こちらから行きます」とダットンとFBIのウィリアム・バリーがボビーを促した。
ボビーは、ホテルのキッチンスタッフなどにも気軽に握手をしている。
ボビーは、製氷機で狭くなった通路を通ると、左を向いて、バスボーイの17歳のファン・ロメロと握手をした。
その瞬間、サーハン・サーハンが持っていたピストル。
Iver Johnson 55S−A "CADET”
8−Shot 22 Long Rifle.
アイバー・ジョンソン、カデット 55S−A
8発式リボルバータイプ
22口径
小型回転式拳銃で、22口径のため、女性にも扱いやすいピストル、威力がないために攻撃用というよりもディフェンシブ・ガン(警官などが護身用に持つ、もう一つのピストル)として用いられる。
サーハン・サーハンは、22ロングライフルのリボルバーで至近距離から、ボビー(ロバート・F・ケネディ)を射撃する。
何発も連射するサーハン。
ボビーは、その場に倒れる。
その時に握手をしていた、ファン・ロメロもそのまま倒れ込んでボビーの手を握っている(ファン・ロメロは被弾していない)
ボビーが、被弾した次の瞬間には、ウィリアム・バリーがサーハンの顔を殴り、彼は倒れ込む。
サーハン・サーハンは、競馬の騎手を目指すほど小柄な男だった。
サーハンが、ピストルを連射したことでボビーの周りにいたスタッフ、5人も負傷した。
ボビーが、倒れ込んでいると、ファン・ロメロが彼の頭を抱きかかえて、手に自分のロザリオ(十字架のネックレス)を置いた。
ボビーは、ロメロに「みんな大丈夫か?」と聞くと、ロメロは「はい、みんなOKです」と答える。
ボビーは、ロメロに背を向けて、自分に言い聞かせるように「すべては大丈夫だろう」と言った。
ボビーの妻、エセルは妊娠3ヶ月だった。
エセルは、現場の外で待っていた。
すぐに、ボビーのところに来るように言われ、彼に近づいていく。
エセルは、ボビーの横にひざまずくとボビーは、エセルのことがわかったようにみんなにはそう観えた。
※表紙のタイトル写真がその様子です。
この直後に、ボビーは、病院に連れて行かれる。
まず、中央受信病院について、ドクターが彼の顔を叩いて「ボブ・ボブ」と呼びかける。
心臓マッサージをすると、ドクターは、エセルにボビーの心音を聞かせるために聴診器を渡した。
エセルもボビーの心音を確かめだ。
それから30分間後にはできますグッド・サマリア人病院に移送し、1968年6月5日の午前3時12分から、3時間40分もの間、緊急オペは続いた。
ボビー、ロバート・F・ケネディは3発の銃弾を浴び、1発目が右耳の後ろから脳内に入り込み、2発目、3発目が右脇の下から内蔵に入る。
6月5日、午前12時16分頃に襲撃されて、26時間後の6月6日午前1時44分に医師団は死亡を確認した。
午前2時には、マスコミにロバート・F・ケネディの死を伝えた。
ここまでが、ボビーがサーハン・サーハンに銃撃されてからの26時間の動きです。
『1968年6月6日』
ボビーの遺体は、マンハッタンに運ばれ、聖パトリック大聖堂でミサを行った。
ジョン、ボビーの弟テッドが追悼の意を表した。
そして、列車でワシントン.D.C.に運ばれたボビーに何千人もの市民が追悼した。
ボビーは、兄、ジョン・F・ケネディが眠る墓地の近くに埋葬された。
夜に行われた最初の埋葬だった。
兄と同じアーリントン国立墓地に・・・
※偉大なる兄、ジョン・F・ケネディと同じ大統領を目指し、目前まできたところに凶弾に倒れたボビー、ロバート・F・ケネディ。
アメリカでは、王室と例えられるケネディ家の悲劇はアメリカ国民だけでなく世界の人々も心を痛めた。
僕も、このようなことがないことを祈るが、日本の素晴らしい政治家、安倍晋三元首相も暗殺されてしまった。
この事件を教訓に要人警護の在り方を見直してほしいと思う。