Salvadol Allende
サルバドール・アジェンデ
Salvadol Guillermo Allende Gossens
サルバドール・ギジェルモ・アジェンデ・ゴスセンス
1908.6.26〜1973.9.11
『Prologue』
今回は、チリ共和国大統領のサルバドール・アジェンデの紹介をします。
1960年代後半から1970年代は、世界的に色々な社会的な動きがあった時代で、今のソーシャルメディアがなかった世の中なので大手メディアだけが国民の情報源であった時代です。
特にニクソン政権は、大手新聞社との闘争は凄まじいモノでした。
ある意味、アメリカだけでなく世界中がスパイ活動、暗殺などの非合法的な活動を堂々としていた時代で、小説・映画の『007』ジェームズ・ボンドが活躍していた時代の実際にあったチリ共和国での事件です。
サンティアゴ・デ・チリのスペイン通り615番地で生まれた、サルバドールは、バスク系スペイン人の家系で、彼の母親はベルギー人移民でチリにきたヨーロッパ人です。
1926年にチリ大学医学部に入学し、医師になったサルバドール・アジェンデ。
チェ・ゲバラと同じ医者です。
1940年9月16日、ホルテンシア・ブッシ・ソトと結婚したサルバドール。
ホルテンシアとの間に3人の娘が生まれて、長女カルメン・パス、次女ベアトリス、三女イザベルが生まれ、イザベルは、
Isabel Allende Bussi
イザベル・アジェンデ・ブッシ
1945.1.18 生まれで、
イザベルは、現職のチリ共和国、上院議員を務めている父親と同じ職業を選びました。
サルバドール・アジェンデが家族、チリ、政治以外でもっとも愛したのが演劇・歌劇でした。
特にこの人の大ファンで彼女の初演を必ず見に行くほど熱烈なファンです。
Marés González
マレス・ゴンザレス
1925.1.26〜2008.8.30
アルゼンチン・ポサダス出身
国籍はチリ共和国。
歌手・女優
※「チリ劇場の最後の歌姫」と言われるチリを代表するディーヴァです。
サルバドールは、チリ国立劇場を愛すると共に、マレス・ゴンザレスをこよなく愛した政治家でした。
Presidente de la República de Chile.
プレジィデンテ・デ・ラ・リプヴィリカ・デ・チリ
チリ共和国、第28代大統領
1970.11.3〜1973.9.11
サルバドール・アジェンデは、政治家としてのキャリアを着実に歩み、第28代チリ共和国大統領に就任しました。
サルバドール・アジェンデが観衆を前に演説をしている風景です。
サルバドール・アジェンデは、ラテンアメリカの自由民主主義・大統領選挙で選ばれた史上初のマルクス主義者の社会主義政治家でした。
社会主義者の大統領がアメリカ大陸に誕生したことを問題視した、
Richard Nixon
リチャード・ニクソン大統領とアメリカ政府は、CIA(中央情報局)が支援を続けていたアウグスト・ピノチェト将軍とクーデター計画をたてていました。
ニクソン大統領は、CIAに対してどんな手段をとってもアジェンデ政権を叩き潰せと命令していました。
アメリカが企てたクーデターを誘発した出来事。
クーデターを起こすきっかけとなったのが、サルバドール・アジェンデ大統領が憲法上の危機を解決するための最終手段として国民投票を行いたいと考えていました。
大統領が、9月初旬に決断して、アジェンデ大統領は9月11日に国民投票を実施して国民に信を問おうとしていました。
9.11.1973 Palacio de La Moneda
パラシオ・デ・ラ・モネダ
ラ・モネダ宮殿(大統領官邸)
1973年9月11日早朝、ラ・モネダ大統領官邸に、CIAが支援するアウグスト・ピノチェト将軍が率いるチリ共和国軍がアジェンデ大統領に対して軍事クーデターを決行する。
『ネオリベラリズム』新自由主義のニクソン大統領・アメリカ政府・アメリカ大企業連合が、アウグスト・ピノチェト将軍を支援して軍事クーデターが決行されました。
Radio Magallanes
レディオ・マガヤネス
ラジオのマガヤネス放送局が、
Última−alocución de Salvadol Allende.
ウルティマ−アルコシィオン・デ・サルバドール・アジェンデ
サルバドール・アジェンデ、最後の挨拶(直訳)
ラジオ・マガヤネスの生放送で、アジェンデ大統領は国民との別れの挨拶をしました。
アジェンデ大統領は、『過去形』で自分自身の人生や、チリへの愛、そしてチリの未来への深い信仰について生放送で演説しました。
サルバドール・アジェンデ大統領、自殺?
チリ軍がパラシオ・デ・ラ・モネダを爆撃し、アジェンデ大統領がラジオ生放送を終えた直後に軍事クーデターの首謀者たちは、アジェンデ大統領が自殺?したと発表した。
彼が自殺に使ったとされる武器は、同志でキューバのFidel Castro フィデル・カストロから贈られたAK−47のアサルトライフルで自殺したと言われている。
しかし、アウグスト・ピノチェト将軍が、
第29代大統領になってから軍事クーデターでの殺害か?自殺か?何年もの間、論争が続きました。
フィデル・カストロとサルバドール・アジェンデです。
2011年12月、国際的な専門家のチームが、アジェンデの遺体を発掘し検死をした調査結果を確認し、アジェンデの死は自殺であると裁定しました。
2012年9月11日、アジェンデ没後39周年を迎え、チリの控訴裁判所は第一審の判決を全会一致で支持し正式に訴訟を終結させました。
サルバドール・アジェンデは、軍事クーデターによる反逆者としての死よりも、自殺という名誉ある死を選んだ政治家でした。
チリの国民たちがサルバドール・アジェンデを追悼した写真です。
『Epilogue』
1969年1月20日〜1974年8月9日まで『ウォーターゲート事件』でアメリカ史上初めての大統領任期中に失脚した、第37代アメリカ大統領、リチャード・ニクソンの大統領時代は、ベトナム戦争や、このチリ軍事クーデターなど、アメリカの繁栄の裏側でアメリカの闇がオープンになった暗黒時代と呼べる時代でもあった。
※このニクソン政権時代の闇を扱ったアメリカ映画で優れた作品が多いので折を見てこれからも紹介します。