シカゴを仕切るギャングのボス「アル・カポネ」ギャングの血みどろの抗争を繰り広げて、アメリカ政府がカポネを捕まえろと号令をかけたが用心深いカポネは、尻尾を出さない。
 そこで、スペシャル・チームが結成されてカポネが有罪になるまでの時間を解説します。
 これは、映画ではなく実際の事件です。




 1929年1月頃に、アル・カポネを刑務所に入れるためのスペシャル・チームが結成されました。その中心人物を紹介します。








 Frank  J.
 Wilson

 フランク・J・ウィルソン  



 1887.5.19〜1970.6.22

 アメリカ、ニューヨーク州・バッファロー出身。


 1920年に、
 『United States Department of the Treasury』

 『米国財務省』に入省。
 『情報局』に所属する。

 『Accountant』
 『会計士』元会計士のお金のスペシャリスト。

 1929年1月頃から、
 「Special investigation team」
 「特別捜査官」の、
 「Main unit」メインユニットとして少数精鋭部隊のリーダーとして、アル・カポネの個人とギャング組織のお金の流れを徹底的に調べ上げていく。









 アメリカ禁酒法時代の写真で摘発した酒類などを棄てている写真と3枚目は本物のギャングの写真。









 Eliot  Ness

 エリオット・ネス  


 
 1903.4.19〜1957.5.16

 アメリカ、イリノイ州・シカゴ出身。


 米国財務省の所管する。
 『Bureau of Prohibition』
 『Prohibition Unit』
 『酒類取締局』

 『Prohibition Agents』取締局捜査官のエリオット・ネス。

 1927年に『Bureau of Prohibition』という酒類取締局は独立組織となります。


 1929年1月からアル・カポネの捜査を始めて正式には1930年3月に、エリオット・ネスをリーダーに11人のエージェントが集まり、
 『Special investigation team』
 『特別捜査班』が結成されました。

 エリオット・ネスのチームはマスコミから人気があり「Untouchables」アンタッチャブルズと呼ばれていました。

 エリオットのチームは、フランク・J・ウィルソンのチームと違って
 『Volstead Act』
 『ヴォルステッド法』いわゆる「国家禁酒法」の捜査でアル・カポネを起訴しようとしていましたが、実際には、
 『Subunit』『サブユニット』でメインの捜査チームではなかったのです。

 その証拠に、アル・カポネの起訴内容は、脱税でフランク・J・ウィルソンの捜査班が彼を起訴しました。
 







 George  E.Q.
 Johnson

ジョージ・E・Q・ジョンソン 




 1874.7.11〜1949.4.19

 アメリカ、アイオワ州・ラニヨン出身。
 
 米国弁護士。

 1931年3月から、アル・カポネ起訴のために捜査班を指揮する検事に就任。
 エリオット・ネスの特別捜査班のメンバーもジョンソン検事が選出した。

 『Prosecutor』『検事』この起訴の後にイリノイ州、北部地区連邦地方裁判所の判事になる。


 フランク・J・ウィルソンと、ジョージ・E・Q・ジョンソンの二人は、アル・カポネから暗殺指令が出ていました。この事案でも起訴しようとしたのですが、証拠不十分で起訴には至りませんでした。
 残念ながら我らのヒーロー、エリオット・ネスには暗殺指令はありませんでした。






 
 Al  Capone

 アル・カポネ  

 Alphonse Gabriel Capone
 
 アルフォンス・ガブリエル・カポネ  

 1899.1.17〜1947.1.25

 アメリカ、ニューヨーク州、ニューヨーク・ブルックリン出身。

 1920年頃から、シカゴに本拠地を移す。

 1925年には、シカゴのギャング組織のボスとなりシカゴのトップになる。






 アル・カポネの写真でもわかるように若い頃のいざこざ(喧嘩)で顔に大きな傷を負う。
 アル・カポネのことを周りは、
 『Scafface』
 『スカーフェイス』と呼んでいましたが、カポネ本人はそう呼ばれることを嫌っていて彼に直接、スカーフェイスという仲間はいませんでした。


 アル・カポネ起訴への時系列。
 1929年1月から、フランク・J・ウィルソンの捜査が始まり、エリオット・ネスも少数で酒の密造販売の捜査を開始する。

 ウィルソン捜査官は、おもにシセロでのカポネの組織の金の動きを調べていたが、証拠が出てこない。

 1930年3月にジョンソン検事による本格捜査と起訴命令が大統領令ででる。
 ジョンソン検事がエリオット・ネスの部下11人を選定、彼らはアンタッチャブルズとマスコミから呼ばれる。

 1930年後半では、ウィルソン捜査官は、カポネの金の動きを把握するがその金の動きを示す証拠が結びつかない。

 1931年に、前からマークしていたフロリダ・マイアミのレスリー・シャムウエイの逮捕から、アル・カポネの金の動きを示す証拠をつかむ。
 『Tax  evasion』
 『脱税』
 脱税罪で起訴。

 1931年6月に有罪の判決を得る。

 ウィルソン捜査官の執念で有罪になる。 
 裁判は、この後も続くが判決が変わることはなかった。