Assassination
of
John F. Kennedy
ジョン・F・ケネディ
暗殺事件
第35代、アメリカ大統領のジョン・F・ケネディが暗殺された事件の内容を『ウォーレン委員会』の報告書に沿って説明します。
『ウォーレン委員会』とは、ケネディ大統領暗殺事件を検証するために、次の第36代大統領のリンドン・ジョンソンが設置した調査委員会のことである。
1963.11.22(金)にケネディ大統領は、民主党選挙戦の資金集めのために、テキサス州・ダラスに遊説します。
パレードを行うためリムジンのオープンカーで、ダラスの中心街や、史跡を名所を巡るコースで凱旋しました。
リムジンには、
「John F. Kennedy」
「ジョン・F・ケネディ」
「Jacqueline Lee Kennedy」
「ジャクリーン・リー・ケネディ夫人」
「John Connally」
「ジョン・コナリー、テキサス州知事」
「アイダネル・コナリー夫人」
シークレット・サービスのエージェントである二人。
「ビル・グリアー」
(ドライバー)
「ロイ・ケラー」
(助手席)
※写真は記念撮影なので見えやすいようにしていますが、1枚目の写真の位置で右側の1番後ろのシートに『ケネディ大統領』その隣側に「ジャクリーン夫人」その前のシートの右側ケネディ大統領の前に『コナリー州知事』その隣に「コナリー夫人」
左側のドライバー席に『ビル・グリアー』その隣の助手席に『ロイ・ケラー』の計6人が乗車していました。
この6人がオープンカーに乗ってパレードをスタートさせました。
『エルム・ストリート』からはずれた
「Texas School Book Depository」
「テキサス教科書倉庫」の前を通ってまがった時、(12時30分)に爆発音がする。場所は、『Dealey Plaza』『デイリー・プラザ』史跡広場の前でケネディ大統領が、撃たれました。
パレード中の歓声が大きいこともあり、3発発射された銃声が等間隔鳴ったので観客は直ぐに気づかず、ジャクリーン夫人の異様な行動で観客たちは異変を察知しました。
ケネディ大統領の頭部と喉のあたりに2発被弾し、コナリー州知事も肩に被弾しました。
リムジンは、スピードをあげて『パークランド記念病院』に向かいます。病院で必死の蘇生処置をしました。
しかし、13時ちょうど頃にケネディ大統領の死亡を医師たちが確認。そしてコナリー州知事は、重傷をおいます。
13時ぐらいには、警察には犯人とされる人物の特徴がアナウンスされていました。白人男性、170cm前後の痩せ型です。
「J.D.Tippit」警察官の「J・D・ティピット」が、挙動不審の人物を発見、その男と重要人物の特徴が似ていたので、職務質問をするために男に近づくと『その男』がいきなり5発、ピストルを発砲し、ティピットの胸に3発被弾する。警察官のティピットは死亡。このときの時刻は、(13時11分〜14分)の間です。
死亡した警察官
「J.P.Tippit」
「J・P・ティピット」
ダラス警察は、ケネディ大統領、狙撃の70分後の(13時40分)には、
「Lee Harvey Oswald」
「リー・ハーヴェイ・オズワルド」容疑者が捜索中の警察官に逮捕されます。
リー・ハーヴェイ・オズワルド容疑者。
オズワルド容疑者は、テキサス教科書倉庫の職員でその建物から、カルカーノライフルでケネディ大統領を狙撃しました。
テキサス教科書倉庫ビル。
写真は、オズワルド容疑者が、実際に狙撃に使用したライフルの証拠品。
6.5×52mm イタリア・カルカーノ M91/38
ボルトアクションライフル。
現在の、アサルトライフルは、フルオートマチックで連射が可能ですが(軍用)市販されているアサルトライフルはセミオートマチックです。
カルカーノのようにボルトアクションライフルとは、1発づつ自分でボルトを引いて装填するタイプなので素早い連射は不可能とされる。
しかし、オズワルドが3発を連射したと結論付けます。
この写真は、オズワルド容疑者が、警察官のティピットを射殺したピストルの証拠品。
スミス&ウェッソン ビクトリー・モデル10
38スペシャル。
1963.11.24(日)11時21分に「リー・ハーヴェイ・オズワルド」 容疑者を市刑務所から郡刑務所に移送しようとしたダラス警察本部の地下でオズワルド容疑者が撃たれます。
オズワルド容疑者は、容疑者のまま、射殺されました。
オズワルド容疑者を射殺したのは、
「Jack Ruby」
「ジャック・ルビー」
ナイト・クラブのオーナー。
写真が、ジャック・ルビーです。
ジャック・ルビーは、1967.1.3、ケネディ大統領、オズワルドとが治療した同じ病院のパークランド記念病院にて肺ガンによる肺塞栓症で55歳の人生を死刑囚という形で幕を閉じます。
1963.11.22(金)〜24(日)までの2日間の出来事をシンプルに追いました。
ジョン・F・ケネディ大統領の死は、アメリカ国民だけでなく世界中の人々が落胆しました。それだけ偉大な大統領の死でした。
11月25日、暗殺事件から3日後に国葬が行われ全アメリカ国民がジョン・F・ケネディのために喪に服した。
アーリントン国立墓地に向い、ジャクリーン夫人、ロバート、エドワードの弟2人と夫人の3人で松明で点火し、ジャクリーンは、棺を覆っていたアメリカ国旗を兵士がきちんとたたみ、その国旗を手渡された。
その重い国旗を手渡された、受け取ったジャクリーン。
葬儀は終わり、1つの時代が幕を閉じた。
🔴 『ジョン・F・ケネディ 暗殺陰謀論/HSCA 報告書より』
に続く。(僕の記事です)