The  Last  of
   Robin  Hood

 ザ・ラスト・オブ・ロビン・フッド

 最後のロビン・フッド(直訳)

 ラスト・スキャンダル
〜あるハリウッドスターの禁じられた情事〜  



 2013年・アメリカ映画。




 このザ・ラスト・オブ・ロビン・フッドは、1930年代から活躍したハリウッドスターとその愛人を描いた作品です。
 本作に登場する人物を紹介します。

 この作品とは関係がないのですが、ハリウッドの映画史で「ダグラス・フェアバンクス」を知らないと映画史を語れないぐらいのスーパースターを紹介します。





 「Douglas  Fairbanks」

 「ダグラス・フェアバンクス」

 1883.5.23〜1939.12.12

 アメリカ、コロラド州・デンバー出身。

 俳優・映画監督・映画プロデューサー。

 1916年に映画製作会社「フェアバンクス・ピクチャーズ」を設立。

 1910年代後半から20年代にかけて、剣戟のスーパースターです。
 剣戟(けんげき)とは、実在もしくは、作中で有名な剣の達人役を演じ大暴れして悪者をやっつけるスーパーヒーローモノです。

 日本で言うと、宮本武蔵や柳生十兵衛などを演じたチャンバラ時代劇のことです。
 
 昔は、剣戟というジャンルがあってとてもヒットした映画群です。


 この作品のタイトルにもなっている
 「Robin Hood」
 「ロビン・フッド」1922年・アメリカ映画。

 「The  mask of Zorro」
 「怪傑ゾロ」1920年・アメリカ映画。

 「The  three Musketeers」
 「三銃士」1921年・アメリカ映画。

 ダグラス・フェアバンクスが、剣戟を代表する役で大ヒットをしたハリウッド映画です。後にダグラス・フェアバンクスは、チャーリー・チャップリンなどと映画会社を設立したぐらい、チャップリンと並ぶスーパースターでした。



 ここからは、本作の主人公であるエロール・フリンを紹介します。

 








 「Errol Leslie Tomason Tomason Flynn」
 
「エロール・レスリー・トマソン・フリン」

 「Errol  Flynn」

 「エロール・フリン」

 1909.6.20〜1959.10.14

 オーストラリア、タスマニア州・バッテリーポイント出身。

 俳優。


 代表作
 『The Adventures of Robin Hood』
 『ロビン・フッドの冒険』
 監督・マイケル・カーティス
 1938年・アメリカ映画。

 『Santa Fe Trail』
 『カンサス騎兵隊』
 監督・マイケル・カーティス
 1940年・アメリカ映画。

 『They Died with Their Boots On』
 『壮烈第七騎兵隊』
 監督・ラオール・ウォルシュ
 1941年・アメリカ映画。



 エロール・フリンは、ダグラス・フェアバンクスに続く第2の剣戟スターと言われました。
 ダグラス・フェアバンクスよりイイ男のエロール・フリンは女性人気も凄かったと思います。
 1930年代の剣戟映画から、ラオール・ウォルシュ監督とのコンビで撮ったウエスタンはハリウッドで一時代を気づいたスーパースターです。

 しかし、エロール・フリンは私生活に問題があって、不特定多数の女性と関係をもち、それをやめることのできないほどの女好きです。
 アルコール中毒、ヘビースモーカーで、1940年代にはドラッグ(麻薬)にも手を出していました。
 そんな女性問題で、最晩年の50歳手前で関係のあったビヴァリー・アードランドとの愛人関係を描いたのがこの作品です。











 「Beverly Elaine Aadland」
 「ビヴァリー・エレイン・アードランド」

 「Beverly  Aadland」
 「ビヴァリー・アードランド」

 1942.9.16
 アメリカ、カリフォルニア州・ロサンゼルス出身。

 女優。

 代表作
 『Cuban Rebel Girls』
 『キューバ反乱軍ガールズ』
 1959年・アメリカ映画。
 監督・バリー・マホン
 脚本・エロール・フリン

 『South pacific』
 『南太平洋』
 1958年・アメリカ映画。
 監督・ジョシュア・ローガン
 脚本・ポール・オズボーン

 幻の作品
 『Lolita』
 『ロリータ』
 1962年・イギリス映画。
 監督・スタンリー・キューブリック
 原作・脚本
    ウラジミール・ナボコフ
 主演
 「ジェームズ・メイスン」
 「スー・リオン」

 このキューブリック監督の『ロリータ』にエロール・フリンとビヴァリー・アードランドをキャスティングしたいと思っていたのがキューブリック監督です。彼は、エロール・フリンとビヴァリー・アードランドの私生活でのスキャンダルを知っていたのでしょう。
 なのでこの二人のリアルな関係を映画の中に持ち込もうとしたのだと思いますが、アードランドの年齢が、この作品の法律要件を満たしていなかったためで、今でいうAV(アダルトビデオの出演は18歳以上)という規制に引っかかったのです。
 それとエロール・フリンとビヴァリー・アードランドには裁判のトラブルがあり見送られて、ジェームズ・メイソンとスー・リオンで撮影しました。


 





 『キューバ反乱軍ガールズ』の撮影当時のエロール・フリンとビヴァリー・アードランド。

 エロール・フリンがブリティッシュコロンビア州・ヴァンクーヴァーで1959.10.14、50歳で心臓発作で死亡した時は、ビヴァリー・アードランドはまだ17歳でした。
 
 ビヴァリーの母親、フローレンスの著作『ザ・ビッグ・ラヴ』で、ビヴァリーは15歳でエロール・フリンと性的関係をもっていたと書いています。
 後にビヴァリー本人もピープル誌の記事で10代からエロール・フリンとの性的関係があったことを認めています。

 このエロール・フリンとビヴァリー・アードランドの関係を中心に映画化されたのが『ザ・ラスト・ロビン・フッド』です。

 Part 2では作品の解説をします。