先週、 到頭3日連続で'ウザい!!!!!!'と喚いてしまった。
言い訳や原因云々よりも、 去年も丁度その時期だった。 当時通っていた作業所、 一頻り叫んだら、 職員の制止も振り切って、 作業へと一心不乱にぶつけた。
二次障害は何時の間にか起こっていた。 自分との闘いは、 家族や無関係の他者を否応なく巻き添えに…。
そんな手の掛かり世話も焼ける札付きは、 死ぬ迄幽閉、 寧ろ拘束監禁を相応しく思う。 奴等は人間社会の粗大芥。 そんな差別的バイアスが生んだ殺戮事件。
どんな事にも、 需要と供給の呼び水は備わっている。
苦痛なハンデを強いられた人に差し伸べられる手。 然し、 何を妬んでか、 '税金泥棒'のレッテルを貼り付け、 理不尽に吊し上げる。 自分だけ楽したさが原因。
どんなに辛いハンデを課せられても、 夢の舞台で感動を与える功労者には結局、 掌をケロリと返す。 同じ障害者でも、 扱いの振れ幅に雲泥の差が生ずる。
確かにハードルを超えた偉人は、 大々的に凡ゆる手段で記憶に残される。 大衆の手本や目標として崇め、 讃え、 征く征くは殿堂入り。 それでも妬む奴はいる。
9年前の悲劇を忘れたか? 成功者への嫉妬が何を駆り立てたろう? 勝手な妄想が膨らみ、'彼奴等ばかり狡い'と矛先を向ける。 あんな奴は自分の思い通りにならなければ…。 自惚れと妄想の強い暴君が、 悲劇の時限爆弾を設置する。 自覚は本人がしておらず、 いつしか割を食った被害者の恨み辛みが爆ぜ、 暴動もやがて起こる。 同じく爪痕も末代へ語り継がれる。
人は何故、 歴史からヒントにしたり、 教訓として学ばないのか? 同じ悲劇を繰り返しては、 ある者は逆手取る。 学習能力を巧く活かしていない挙句に陥る。
縁起に肖る目的でも構わない。 神様は見ているんだ。
徳を積み重ねて行きたい。 僅かな量でもいい。 達成感を毎日向上させたい。 遠くの悲劇は現時点どうだっていい。 40年で如何なる悲劇を乗り越えて来たろうか? その傷を分かち合い、 皆で幸せを目指したい。