最近、神奈川大学人間科学部の杉山崇教授が書いた、マウンティングについての記事を読みました。
ファミレスで楽しそうに開かれていた、ママ友会。しかしひとりが席を立った途端、「あの食べ方、ないよね~」と陰口をひそひそ`言い始める、これが相手を辱めて自分が優位に立つ「マウンティング」の一種とのことです。
お育ちがいいと自負する人は、「お作法」で勝負するそうです。お茶出しをお願いして、予想通り作法を間違えてもその場では見て見ぬふりをして、後からやっぱりなってないなど陰口を言う。
子どもの誕生会に集まったママ友が「みんなで役割分担しよう」とかいって、上位のママは料理の盛り付けなどを担当して、下位のママには片づけや子守りなど面倒な役割を押し付ける。子守り担当になると、大人の会話にも入れず家政婦かベビーシッターかのように使われるだけで、そもそも会話に入れる気がないんだということが、あえて口に出さずとも皆に分かるのでかなり屈辱的など、いろいろバラエティーがあります。
そのほか、イレギュラーなケースもあるそうで、、マウンティングは相手に響かなかったら、マウンティングにならないのですが、された相手は気づかないけど、やった方は非常に優越感を感じるという気づかれない(ステルス)タイプのマウンティングがそれになるそうです。
これら、タワーマンションでの優劣付けを題材にした昼メロのようなドラマから定着したようですが、
何気なく言ったことを、マウンティングしようとしていると受け取られる場合もあり、相手の受け取り方次第で、決まるので、はっきりと分かる悪口や罵倒と違い、定義がむつかしいと思います。
人を貶めて自分が優位に立つというのは、人によろこんでもらうことをするのがうれしい、一緒によろこびを共有したいの反対になると思います。
人によろこんでもらうのは、なかなかむつかしいことです。自分がよかれと思ってやったことが、相手にとっては迷惑だったりするからです。
知らないうちに、マウンティングされていると受け取られ、不快な思いをさせてしまったとしたら、悲しいと思います。
不快な思いをさせるのは簡単ですが、
それでいい気分になれるのかというと疑問です。
そんなに性格が悪い人ばかりなのでしょうか。
マウンティングという言葉が定着し、人がマウンティングされていると意識を持ちだすようになったら、より言葉に気を付けなくてはならなくなるのではと思いました。