改めてこのブログはどんな人のために用意されたコンテンツなのか、再定義しようと思う。

前回は、自分がブログテーマを一新した経緯を書いた。今度はその具体的な記事内容、そしてどういった人々に届けようとしているのか、という話になるが、基本的には気候変動に関する(その実態の可否に関わらず)全てのテーマに関心がある人なら誰でも閲覧できるようなコンテンツにしたいと考えている。ただ、本質的な狙いとしては気候変動というテーマに際して実際のところはよくわからない、といった見解や、情報量が多すぎて何を基準に判断したらいいのかわからない、といった、気候変動に関してあまり詳しくない方たちを主な対象にしていきたいと考えている。そういった方々に少しでも基本的な知識から専門的なことまで幅広く理解できるようなコンテンツにしていくことを目的とする。

 

さて、その一方で、なぜ私がこの気候変動というテーマに深い関心を持っているのか、といった根源的な根拠をまだ話していなかったので、改めて紹介したい。

元々自然環境の景観に始まり、その生態系や地球システムの仕組みや構造などといったことに小さい頃から関心度が高かった。好奇心や知識欲が昔からあったことも相まって、抽象的ではあるが、地球自然というこの世界の一形態に強い興味を抱いていたのである。

 

それが、時代と年を重ねるにつれ、社会的、国際的な問題、いわゆる「地球温暖化としての気候変動」という一つの社会課題が世界には存在することをゆっくりと認識するようになり、はたまたそれが虚構に近しい事柄であることを次第に知るようになっていく機会が増え、この世界は自分が思うよりも見かけ倒しな部分で構成されていることが多いことに気づくようになった。一般的に寒冷化や二酸化炭素と温暖化における関係性を否定する立場を取る人たちは、基本的に「懐疑論者」と揶揄されることが多いが、そもそもにおいて、この現代社会、特に政治やそれに付随した特定の科学における専門知識は不正や欺瞞、不誠実さなどといった負の実態は、政府の強引な政策や国民への背信行為といった昨今の社会風刺から見ても、誰の目にもより明瞭に浮き彫りになっており、その真相に気づいてきている人々が多数派を占めてきている現実が可能性として高いように見受けられる。私は、たまたま高校時代の時にスピリチュアルな本を一冊、手に取ってこの世界の様々な見えない様相を知るようになってからの上での、そういったいびつな世界の形骸化に関心を持っていった、という経緯があり、それが、一般的に陰謀論やオカルト、スピリチュアルといった分野だけではなく、世間一般に受け入れられるような形にしてこの世界の歪みを指摘する学者やジャーナリストなどの発言―堤未果氏やナオミクライン、政治哲学者のマイケルハートにネグリ、あるいはジョン・ホロウェイ、気候科学においてはスティーブン・クーニン氏や丸山茂徳、杉山大志、などなど、名だたる著名人たちのことを指す―などの分野に関心が移るようになっていったのだ。つまりは、陰謀論と呼ばれている分野から入って、最終的に専門的な分野に関心が移っていったということである。世間では「眉唾」「誇大妄想」などと軽蔑されるような風潮が蹂躙してはいても、実際にそういった見識者たちの発言や主張を鑑みれば、陰謀論と呼ばれている分野にもそれなりの信憑性が見受けられる、と感じるようになったためだ。

 

私は、陰謀論を陰謀論で片付けてはいないし、また見識者の論理的な考えに非同意的な立場を取るわけでもない。総合的に見て、これらの話に妙に一貫性があると判断する機会が多いので、どちらの話も受け入れる、という立場である。ただ、こういった一連の情報に左右されて、果ては分断をも起こしているこの社会の事実を踏まえれば、これらを統一した体系的な情報あるいはその知識が必要になるのではないか、と考える。よって、上記の意味合いを込めた読者層に読んでもらえることを想定している、といった経緯になる。

 

「社会は決して健全ではない」

 

そう感じている人々の方が混乱をひたすらに招くこの時代においては、むしろ大多数を占めているであろう。だからこそ、明確な主軸、言ってしまえば「ブレない軸」を社会における知識、あるいはその心構えが必要になってくると私は考えるのだ。

 

こういったことを踏まえて、私は世界の行く末をただ傍観するのではなく、どのように未来を切り開いていくべきなのか、そういったことに今現在最も強い関心を抱いている。その中の一つにこの気候というテーマに関連した「寒冷化」というものがある。悪く表現すると「氷河期の到来」である。一部の話によればこの時代の到来は2030年頃から起き始める、という情報もある。だが、このサイドの情報やデータが温暖化の実態と比べると少ないように個人的には感じるのだ。よって、確実に来るとは言われてはいるけれども、実際にいつ、どんな形で起きるのか、信憑正はどのくらい高いのか、そういった立場を取らざるを得ない、と私は考える。いくら自分だけの中で「確実に来る」とは思ってはいても、データや情報を揃えなければ、人々を説得し、来たるべき事態に備えることはできない。そう感じるのだ。世界恐慌や第三次世界大戦などが巷で叫ばれているとはいえ、この地球寒冷化が人類に最も大きな打撃を与えるような気がしてならない。そう捉えたことで気候変動に関する研究を個人という形ではあるが、始めてみることにし、よってこのブログが成立する経緯ができたのだ。

 

現在、私には地球工学、いわゆるジオエンジニアリングという分野において、適応に向けたアイディアがあるのだが、クーニン氏によると地球工学だけではなく、政治的あるいは社会的な行動の色合いを持たせることが重要だ、といった具合の見解を述べていることを考えた時に、科学と同時進行で政治や社会体制にも深い影響を与えるべきだ、という考えが、あるにはある(だが、これは温暖化に対する見解ではあるが)。ただ、あくまで政治や社会といったものは、私たち人間が築き上げた生態系構造の一形態であって、必ずしもそれのみで適応が可能になる、あるいはその形態が適応に適した構造であるとは、考えにくいのだ。ただでさえ、コロナ情勢によって資本主義、もっと言えば世界全体がまるで機能しない実態が事実として存在したのに、寒冷化を政策や社会体制を整えるだけで、果たして人類文明が存続することなど可能なのだろうか?科学は過信してはならないが、かといって科学の恩恵に授かることに消極的、懐疑的であってもならない、そう捉えるのだ。だからこそ、私はこの気候変動問題を最も中心で最終的な到達点として、適応を試みる準備を始めることを決断したのだ。もちろん、この寒冷化だけではない。ポールシフト、いわゆる極移動といった現象も今実際に起きているし、世界的な課題はこのテーマにとどまらない。ただ、今直近の課題として最も取り組むべき事態だと強く認識しているのが、寒冷化という形なのだ。

 

このような段階を踏まえて、具体的にどのような記事を更新していくのか、それを紹介させていただきたい。

始めは、気象と気候の基礎、及びその違いから開始し、次に世間一般で言われている温暖化の仕組み、そこからデータ検証に移って寒冷化というテーマ、そこから二酸化炭素における性質、それを発展させて政府の主張や気候産業複合体の実態、そして最後に気候変動の全体主義との関わりとその打開策に向けた提案でこのブログを完成させようと思う。

 

具体的には以下の通りとなる。

 

①世間一般に知られている気象と気候の仕組み

②世間一般に知られている温暖化の仕組み

③なぜ、今温暖化と呼ばれるようになったのか

④いつから温暖化になり始めたのか

⑤温暖化が叫ばれる前の時代の気温はどうだったのか

⑥温暖化発生初期時代の前後の気温データの差異を検証する

⑦データに信憑性はしっかりと見受けられるものなのか

⑧少なくとも急進的でない=寒冷化に結びつくのか

⑨地球寒冷化及び氷河期の仕組み

⑩寒冷化サイドの学者たちの唱える二酸化炭素増加の原因

⑪大気中における二酸化炭素の作用とは

⑫なぜ公的機関は二酸化炭素を温暖化と結びつけるのか

⑬温暖化は政府のプロパガンダとは本当か

⑭なぜ、政府は気候危機を主張するのか

⑮公的機関によるデータ捏造の可否を検証する

⑯なぜ捏造するのか、またその目的は何か

⑰気候産業複合体は実際何に資金を使っているのか

⑱気候危機は全体主義への道具なのか否か

⑲気候変動から見た全体主義を止めることは可能なのか

⑳結論「SF作家としての立場から見た諸問題の打開策」

 

となる。

もし、情報源が集まらない場合はこの通りに話が進まないことがあるかもしれないが、少なくともこのラインに沿って議題を進めていくつもりだ。

 

今後とも邁進していこうと思う。