一郎君のご両親は、メリーゴーランドという喫茶店を経営されてました。
一郎君が小学校に上がるころには、お店をやめたそうですが、ただのカフェではなく、フォークシンガーや前衛的なダンサー北方舞踏派などが訪れては、音楽談義に花を咲かせてるような、文化交流の場だったようです(昔、興次郎さんがSONGSで語っていた記憶より)

では親子対談の続きを。


☆☆☆


一郎 「大人が大人の前で真剣に大きな声で歌ってるのが衝撃だった。
手宮の喫茶店がなくなる最後の日、友部さん来てて、スイカ割って食べたの覚えてる。
そのとき音楽は素晴らしい、やりたい、と思って父に言ったら 
"ギターそこにかかってるから、やっていいぞ"と」

父 「お前が音楽で食ってくなんて、思いもしなかった。
高校はテニス部。スノボもやって、スポーツばっかり。
もっち君はギターを中学からやってたけど、一郎はポロポロ♪
音楽やる奴は、たいてい音が先で歌詞は後なんやけど (一郎はギターより先に詩を書いていた、みたいな意)」


話題はデビューした頃の話になります。


父 「三日月サンセットや白波トップウォーターは、ちょっと暗いけど、CDになってるの聴いたら完成度が高く、音も外れてないし。victorに磨かれた(指導してもらった?)んだな~と思った」

一郎 「(デビュー当時の楽曲を褒めたことに対し)
でも何も言ってくれなかった(・_・)」

父 「聞かなかったからや」

一郎 「僕が東京に行くことをどう思った?」

父 「最初から東京に行くなら反対したけど。
アルバム2枚を札幌で作って、これはいいと思った。こういう音楽はメジャーで必要だな、と」


一郎君のデビューが27歳か28歳かで、親子でもめます。

父? 「2007年にデビューして、シンシロを2009年に作ったから、2009年に東京に行ったんだょ。
俺もう喫茶店やってへんで」

一郎 「アルバム1枚目と2枚目はそんな売れなかった。自分のために作ったアルバム」

父 「いいアルバムだから(売れる売れないは)関係ない。
札幌にいたらプロモーションしないから、売れへんの当たり前や」


続く