大坂城は、お城がまるごと水堀や空堀に囲まれた惣構(そうがまえ)でした。
↓当時の地図

幅30-40m、高さ10m (3階建ビル) 以上の巨大な空堀を掘り、さらに大坂城手前に土塁を盛ったため、徳川軍はここから城へは一歩も入れなかったのです(* ̄ー ̄)✨
次に、大阪文化財研究所の積山さんは、20年前にご自身が発見した空堀の痕跡と思われる場所へ案内します。
③住宅街にポッカリ残る低い空間:田島北ふれあい広場
住宅街の狭い路地に入ると、朱色の鳥居に突き当たります。
↓下を覗き込むタモリさん
「上から見下ろしたら、今度は下におりて見上げるのが礼儀」と言いながら、左のゆるい坂をおります。
狭い空間ですが、埋め立てずにそのまま残したんですね(*^^*)
貴重な空堀の痕跡です✨







