大坂城は、お城がまるごと水堀や空堀に囲まれた惣構(そうがまえ)でした。

↓当時の地図


水色は水堀で、左下の茶色くカクカクした複雑なラインは空堀です。


ブラタモリ御一行さまが次に向かうのは、そのカクカクした空堀跡地。
大坂城から南西に2km離れた上町筋の西側へ。

②築城時の城下町:


この付近は、大坂城築城時に城下町だったところです。
徳川軍はこの道を通って、大坂城を目指しました。


藤堂高虎 (1556-1630 築城の名手で大坂冬の陣の先鋒隊) が陣を構えた場所から城へ進むと、やがて下り坂になり、また上り坂になってます。
この高低差は🤔?


↑黄色い部分が空堀だった場所


幅30-40m、高さ10m (3階建ビル) 以上の巨大な空堀を掘り、さらに大坂城手前に土塁を盛ったため、徳川軍はここから城へは一歩も入れなかったのです(* ̄ー ̄)✨


次に、大阪文化財研究所の積山さんは、20年前にご自身が発見した空堀の痕跡と思われる場所へ案内します。

③住宅街にポッカリ残る低い空間:田島北ふれあい広場


住宅街の狭い路地に入ると、朱色の鳥居に突き当たります。


↓下を覗き込むタモリさん


「上から見下ろしたら、今度は下におりて見上げるのが礼儀」と言いながら、左のゆるい坂をおります。


狭い空間ですが、埋め立てずにそのまま残したんですね(*^^*)
貴重な空堀の痕跡です✨