前回の続き
佐藤光玉さんの体験記に、ネットで得た情報をmixしております。
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キスカ島から撤収する作戦は、ケ号作戦と呼ばれました。
海軍から収容艦隊が入港する日時を知らされ、我々は海岸に整列して2時間待つも到着せず。
そんな日々が続き、第一次撤収作戦は失敗に終わりました。
(濃霧が発生しなかったため、木村少将は作戦を敢行しなかったのだそう)
相変わらず、海上はレーダー搭載の米艦艇が厳重警戒。
空は偵察機。
収容艦艇が運良くキスカ島に入港出来ても、アッツ島の沖合いで潜水艦の魚雷攻撃に遭う可能性もある。
沈没して海洋の藻屑になるくらいなら、白い米をいっぱい食べて、白兵戦で玉砕したほうが...と正直思ったのは事実です。
次のケ号作戦は7月26日。
(この情報は、敵に傍受解読されてしまいます。しかも撤収ではなく、増援がやってくると勘違いしたそうです)
その日の夜。
敵の艦艇ミシシッピはレーダーに日本艦艇の影を察知。
他にもアイダホ、ウィチタ、ポートランドからも同様の報告があり、直ちに猛攻撃。
40分後、影が消えたので撃滅したと確信し撤収。
消費した砲弾は、36cm砲弾が118発。
20cm砲弾は487発。
弾薬補給のため数日包囲網を解く結果に。
(しかし、4日前にほろむしろ島を出港していた日本の収容艦艇は、衝突トラブルがあり、キスカ島入港を29日に延期していたのでした!!
その情報は傍受を避けるため暗号電報を送っておらず。)
7月27日夜。
キスカ島南西海上で盛んな砲声と光芒の閃きが。
「日本とアメリカの艦隊が衝突したか。こりゃ撤収作戦も終わったな」
しかし、これは濃霧で日本軍と間違え同士討ちをしたものでした。
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アメリカを惑わす海上の影。
アッツ島で玉砕した2638名の将兵が護ってくださったに違いありません(*´-`)