キスカ島から奇跡の生還を果たした、佐藤光玉さんの体験記は続きます。
原文の引用ではなく、大まかな内容です。
(  )の文章はネットで調べたもの。

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1942(昭和17)年6月8日。
厚岸から出港した輸送船衣笠丸は、アッツ島に上陸。

島にはアメリカ人の老夫婦と、アリュート人42人が住んでました。
もと海軍で気象調査の通信士をしていたアメリカ男性は、日本軍が上陸したことを打電。
男性は取り調べ中に自決し、妻は東京に送られました。
アリュート人は全員小樽に抑留され、後にアトカ島へ。
(これでアッツ島は日本軍だけになったんですね)


キスカ島が連日爆撃を受けていたのに対し、アッツ島はまさに天国。
次々に入る輸送船の物質の陸揚げに追われてました。
8月になると、高山植物が可憐な花の絨毯を咲かせ、まるで別世界のよう。
北限の孤島にこんな素晴らしい世界があるなんて、訪れたことのないひとは夢にも思わないだろう。
川を遡上してくる鮭を手で掴み、雌は腹を切ってイクラを食べました。


9月に穂積部隊はキスカ島へ転進。
(守備隊がふたつの島を入れ替わった記述有)

旧火山列島なので、強風が吹くと軽石が飛び散ります。
真冬の気温は下がってもマイナス15℃ほど。

中隊毎に陣を敷き、敵が上陸したときの陣地作りや飛行場建設、防空壕掘りなど、昼夜三交代で働きました。

ある日、作業員に昼食を運んでいるとき、敵の軍機が砲撃してきて、慌てて逃げた私は石につまずき転倒しました。
もし逃げ回っていたら、執拗に追撃されていたに違いありません。
運がよかった、と思いました。


翌年の4月。
南方作戦で日本軍が苦境に立たされる中、アッツ島の新たな守備隊長として、山崎大佐が上陸。
(敵にバレぬよう潜水艦で入島したそうです)
すると、これまでキスカ島を攻撃していた米軍機が、キスカ島を通過してアッツ島を爆撃するようになります。
濃霧でアッツ島爆撃が出来ないときには、引き返す際に十数機が横一列に飛来し、ジュウタン攻撃をして行きました。


5月12日、米軍は数十隻の艦艇、数百機の爆撃機でアッツ島を射撃。
遂に上陸を開始します。
キスカ島が先に上陸されると思っていたのに...


5月29日、アッツ島は玉砕。


米軍はキスカ島に矛先を変え、連日の空爆。
仲間が多数犠牲になりました。
しかし米軍はなかなか上陸してきません。
我々守備隊を 「装備の整った精鋭部隊」 と分析してるようでした。
(アッツ島は3日で奪還出来ると思っていたのに、実際は17日かかった)


米軍に爆撃、監視されてる中、ついに7月。
我々に撤退の内令が!

(撤収の艦艇をキスカ島に手配出来たのは
アッツ島への援軍を北千島で待機していたにも関わらず、大本営に作戦中止を命じられた北方司令官の樋口季一郎中尉が
「アッツ島を犠牲にする引き換えに、キスカ島の兵は全員無事に撤収させろ」 
と強く大本営に迫ったからです)