《円山に移住していた酒田農家さんと庄内藩士との交流》


戊辰戦争では、兵の半分近くが農民町民だった庄内藩。
ここまで領民の比率が高い兵は、他に見られないそうです。
職業の垣根を越えて、一致団結して奮闘したんですね。

降伏した後、会津転封と戦後賠償金を命じられますが、豪商本間家を中心に、商人、地主からもお金が集まり、30万両を新政府に渡すことが出来ました。
領民の嘆願もあって、藩主の酒井氏は庄内に復帰。
石高が17万石から12万石に減らされたものの、 土地を奪われることはありませんでした。


もうひとつのエピソードとして、天保11(1840)年、川越・庄内・長岡の3藩領地替の計画を幕府から聞いたときも、領民が嘆願書を繰り返し出した甲斐あって(言い出しっぺが居なくなったのもある)、取り止めになったことがあります。


⭐⭐⭐


桑園開墾のため庄内藩士が円山を行進したとき、酒田の農家さん30戸90名は、畑作業の手を休め、懐かしい顔を探して手を振ったに違いありません。
開墾が休みの日には、散歩がてら円山に行って、再会を楽しんだかも知れませんね(*´∀`)