《琴似街道~円山~知事公館の行進ルートを推測》


琴似(銭函)街道は、ネット検索で旧国道5号であることがわかりましたが、分岐点から先はどう進んだのか..
いくつかのルートが浮かびました。

1. 北5条通ルート
➡円山を通って、と書いてあるので、なんとなく違う

2. 大通ルート
➡西8丁目より西は原始林と湿地だったので、大通は円山まで延びてなさそう

3. 裏参道ルート
➡開拓当時は本府通と呼ばれていたので、この道がハイストリートっぽぃ


円山村の全貌を把握するため、私は或る人物に注目しました。
円山開拓の祖・上田万平(・ω・)


そもそも明治2年、開拓使判官の島義勇が北海道に入ったとき、箱館戦争後で備蓄米が底をついていたのに加え、全国的大凶作で食糧難だったため、大至急札幌で農作物を栽培する必要がありました。

それで島判官は部下にお金を持たせ、東北の農家さんに「3年間生活補助する」という条件で移住者を募ったのです。

明治3年に酒田から30戸、翌4年に岩手から5戸が移住。その岩手組のひとりが上田万平さんでした。


上田さん (兄弟) は懸命に働き面倒見もよく、明治7年には開拓使から移住民の農業指導を委されます。
農業の傍ら、裏参道の自宅で日用雑貨の商いをし、村人の集いの場に。

明治8年、円山村の副総代となった上田さん主導のもと、現在の円山小学校 (北1条通と西25丁目通のスクランブル交差点の一角) に簡易教育所を開設。


お~~ぅ(*゚Д゚*) かなり賑わってます。
これで町の様子が見えて来ましたね✨


以上のことから行進ルートを推測しますと..
旧国道5号から真っ直ぐ西25丁目通に入る。
南2条の裏参道で左折。
西20丁目より先は未開の地なので、獣道みたいなところを進んで知事公館 (北1西16)へ。


..道路に興味ないひとには、至ってつまらない記事でしたね(´- `*)

次回は、3つ目の疑問「円山に先に移住した酒田農家さんと庄内藩士との交流はあったか」について検証及び妄想していきます。


↓円山公園に建つ島義勇判官の顕彰碑