庄内藩士が札幌入りしたときの様子は、とても興味深い。


6隊のうち2隊は大野開墾のため函館で降り、残り4隊158名が6月1日小樽着。
銭函では黒田長官と松本大判官を始め、幹部が出迎えてくれます。

庄内藩士は色鮮やかな4つの隊の旗を掲げ、サムライ魂全開で隊列を組み、琴似(銭函)街道~円山を通って札幌まで行進するといふ圧巻のパフォーマンス(注①)。


宿舎はきれいな湧き水のそば、知事公館の場所に2棟。



開拓使からひとりずつ、お布団2枚とブランケットを受けとりました。


開墾エリアは、資料によって若干異なりますが、南1条(又は北1)~北7条、西8丁目~20丁目。
現在の西20丁目通から西は、むかし円山村で、桑園開墾の5年前に同郷の酒田の農家さんが入植してます。


雨の日が多く、昼夜の寒暖の差が激しい札幌。
風邪や脚気などの病人がたくさん出るなか、彼らは松ヶ岡開墾の経験を生かし、月明かりをもとに深夜0時過ぎまで働いたそうです。

同郷の松本大判官は、お酒などの差し入れを持って何度も激励に。
「今このように全力を尽くして働いている者は、世界広しと言えど他に居まい」
とまで賞賛したそーです(*´∀`)


努力の甲斐あって、100日余りで21万坪を開墾し、苗を植える穴まで掘るといふ完璧な仕事ぶり。


酒田に帰る前に、雨竜学校(現在の雨竜町役場付近)で送別会が盛大に催されました。

お赤飯、牛肉のてんぷら、玉子焼き、秋味のかまぼこ、梅の羊羹といふご馳走に加え、感謝状、西洋農具、羊牛2頭が贈られたと言いますから、開拓使も目を見張るほどのグッジョブだったのですね。


ちなみに..松本大判官は、数年後黒田長官の横暴な開墾策に異議を唱え、職を離れて故郷の庄内に戻って静かな余生を過ごしたそうです。
「内陸部の開墾はアイヌにやってもらう」といふ黒田長官に反対した松本さんカコイィ💕




黒田清隆長官之像

なお、注①については後日詳しく(*^^*)
桑園開墾の記事は、桑園地区連合町内会さんのHPをもとに、コピペはせずしょうこテイストを織り混ぜて書いております。