明治3年から4年にかけて、山形・岩手・新潟の農家さんがまず移住したのに続き、頼もしいサムライ軍団が札幌入りします。
最初に現れたのは、藩士のほぼ半分、600人がふたつの船に乗って来た白石藩の人々でした。
戊辰戦争に敗れた賊軍という不名誉を挽回するため、白石藩は政府へ開墾を申し出たのです。
明治4年9月、新天地に向け出港。
航海の途中、木古内沖で嵐に遭い、かんりん丸が座礁する事故がありましたが、同年11月、まず67人が最月寒(もつきさっぷ)に。
国道12号沿いの白石公園~白石神社に住まいを完成させ、明治5年2月までに104戸 380人が移住しました。
そして白石藩の第2陣、54戸240人が上手稲(旧国道5号の発寒橋~高速札樽道付近)に移住。
熊笹に覆われた地で、獣と闘いながら新しい生活をスタートさせたのです。
最初に現れたのは、藩士のほぼ半分、600人がふたつの船に乗って来た白石藩の人々でした。
戊辰戦争に敗れた賊軍という不名誉を挽回するため、白石藩は政府へ開墾を申し出たのです。
明治4年9月、新天地に向け出港。
航海の途中、木古内沖で嵐に遭い、かんりん丸が座礁する事故がありましたが、同年11月、まず67人が最月寒(もつきさっぷ)に。
国道12号沿いの白石公園~白石神社に住まいを完成させ、明治5年2月までに104戸 380人が移住しました。
そして白石藩の第2陣、54戸240人が上手稲(旧国道5号の発寒橋~高速札樽道付近)に移住。
熊笹に覆われた地で、獣と闘いながら新しい生活をスタートさせたのです。