平岸、月寒の入植が始まった明治4年。

新潟からは、農家さん40戸が二十四軒に移住します。
翌年、8戸が今の八軒に移住。
なんか二十四の数字が出てこないですね。
40-8=32ですし。

これは、すすきの遊郭建設のため、立ち退きを余儀なくされた開拓スタッフが、8戸と24戸に分かれて引っ越した..という説が有力ですが、謎のまま。


⭐⭐⭐


すすきの遊郭は明治4年に出来ました。
それまでは、本府 (開拓史本庁を含む敷地) は南1西1~すすきの手前のエリアで、すすきのは住宅地だったのですが

本州から単身赴任してる開拓スタッフが、寒くて辛いからと本州に帰ってしまわぬよう、
ワクワク遊郭ランドを作ったようです。
(南7西4 玉宝禅寺祖院の供養塔に、そのような内容の案内板あり)

南4条通はすすきの遊郭の土塁にあたります。
国が積極的に作ったワクワクすすきの遊郭ランドは寂れることなく、そのまま夜の繁華街としてギラギラ輝いてるんですね。
(1918年、開道50年記念北海道博覧会予定地が中島公園だったため、遊郭は菊水にお引越し。)