和人が蝦夷地に移住を始めたのは、15世紀頃と言われています。
(アイヌ文化振興・研究推進機構の小冊子による)
室町時代の1443年、武将の安東盛季(アンドウモリスエ)が、津軽十三湊の福島城を南部義政に攻められて失い、松前に逃れて、その後多数の和人が移住したとの記述があります。
東はむかわ、西は余市まで居住地が広がり、函館付近に問屋や鍛冶屋が設けられ、若狭(福井県)から来た商船と交易を行ってました。
どんな品物を交換していたのでしょう。
蝦夷地からは、蝦夷三品と呼ばれる昆布・干さけ・にしん。サハリン経由の中国産品。
本州からは、鉄製品・漆器・酒などがもたらされました。
アイヌの人たちは、最初の頃、直接・間接の生産者であり交易者でしたが、口論から殺人事件になったのをキッカケに、政治的経済的不和も相まって、和人とアイヌの人たちとの戦が100年に渡って繰り広げられることに。
蠣崎氏が秀吉から朱印状、家康から黒印状を与えられる前から、こんな争いが起こっていたのですね。
ちなみに水曜日のカンパネラの《シャクシャイン》という歌は、1669年のシャクシャインの戦いからきています。
♪タンタカタンタンタカタン....
1740年頃、長崎俵もの、〆粕などの漁獲物の需要が高まると、商人自らが漁業を行うようになります。
漁具の改良、新技術の導入で漁獲量が増えると、いつしかアイヌの人たちを労働力として使うようになり、立場が変わってしまったのでした(・_・)
(アイヌ文化振興・研究推進機構の小冊子による)
室町時代の1443年、武将の安東盛季(アンドウモリスエ)が、津軽十三湊の福島城を南部義政に攻められて失い、松前に逃れて、その後多数の和人が移住したとの記述があります。
東はむかわ、西は余市まで居住地が広がり、函館付近に問屋や鍛冶屋が設けられ、若狭(福井県)から来た商船と交易を行ってました。
どんな品物を交換していたのでしょう。
蝦夷地からは、蝦夷三品と呼ばれる昆布・干さけ・にしん。サハリン経由の中国産品。
本州からは、鉄製品・漆器・酒などがもたらされました。
アイヌの人たちは、最初の頃、直接・間接の生産者であり交易者でしたが、口論から殺人事件になったのをキッカケに、政治的経済的不和も相まって、和人とアイヌの人たちとの戦が100年に渡って繰り広げられることに。
蠣崎氏が秀吉から朱印状、家康から黒印状を与えられる前から、こんな争いが起こっていたのですね。
ちなみに水曜日のカンパネラの《シャクシャイン》という歌は、1669年のシャクシャインの戦いからきています。
♪タンタカタンタンタカタン....
1740年頃、長崎俵もの、〆粕などの漁獲物の需要が高まると、商人自らが漁業を行うようになります。
漁具の改良、新技術の導入で漁獲量が増えると、いつしかアイヌの人たちを労働力として使うようになり、立場が変わってしまったのでした(・_・)