11/21夜7時に放送された「7時にあいましょう」は、歴史上の人物の末裔特集でした。
その中で、豊臣秀頼は大坂城で自害せず落ち延びていた!
という末裔の証言がありましたょ。
大分県日出町(ひじまち)出身で東京在住の木下崇俊さん。
秀吉の正室ねねの弟・木下家定の嫡男で、初代日出藩主・延俊の19代目になるお方。
木下家の当主にだけ伝えられてきた一子相伝のエピソードによりますと。。
大坂夏の陣で、秀頼と子の国松は真田幸村・大助と共に、抜け穴を通って大坂城を脱出。

薩摩藩の船で島津殿のもとへ落ち延びたのだそうです。

秀頼は大坂夏の陣の翌年、病死しましたが、徳川方の刺客が薩摩に入ったため、国松は薩摩を離れ、家定の嫡男・延俊の養子になったそうです。
名前を延由に変えて。
養子にも関わらず、3万石のうち5千石を継いでいるのが、特別な存在である証ですね。
幕府の目を恐れて、豊臣姓を隠していた国松(後に延由)ですが、亡くなったとき「証拠を残そう」ということで、位牌の裏に豊臣の名をひっそり刻んだのでした。

さて、真田丸も明日で最終回。
秀頼・国松&幸村・大助のダブル親子の落ち延びエピソードには触れるのでしょうか(´- `*)
その中で、豊臣秀頼は大坂城で自害せず落ち延びていた!
という末裔の証言がありましたょ。
大分県日出町(ひじまち)出身で東京在住の木下崇俊さん。
秀吉の正室ねねの弟・木下家定の嫡男で、初代日出藩主・延俊の19代目になるお方。
木下家の当主にだけ伝えられてきた一子相伝のエピソードによりますと。。
大坂夏の陣で、秀頼と子の国松は真田幸村・大助と共に、抜け穴を通って大坂城を脱出。

薩摩藩の船で島津殿のもとへ落ち延びたのだそうです。

秀頼は大坂夏の陣の翌年、病死しましたが、徳川方の刺客が薩摩に入ったため、国松は薩摩を離れ、家定の嫡男・延俊の養子になったそうです。
名前を延由に変えて。
養子にも関わらず、3万石のうち5千石を継いでいるのが、特別な存在である証ですね。
幕府の目を恐れて、豊臣姓を隠していた国松(後に延由)ですが、亡くなったとき「証拠を残そう」ということで、位牌の裏に豊臣の名をひっそり刻んだのでした。

さて、真田丸も明日で最終回。
秀頼・国松&幸村・大助のダブル親子の落ち延びエピソードには触れるのでしょうか(´- `*)