死別について考えてみた | 乳房補完計画完了

乳房補完計画完了

乳がんになり両乳房全摘、同時再建へ
シリコンインプラント挿入終了

お久しぶりです←誰に?w

大河ドラマ『光る君へ』脚本家・大石静「2話目を書き終えた頃に夫が他界。介護と仕事の両立は困難だったが、45年間で一番優しく接した時間だった」(婦人公論.jp) https://news.yahoo.co.jp/articles/a0a38ca0c9cfda46512be978f33187277a927327

参考記事



これ、書きかけのまま半年以上放置していました(笑)

大河ドラマは藤原道長のお父さんもお兄さん2人もとっくに亡くなり、まひろは越前に行って帰ってきて結婚して出産して夫は急逝、女院藤原詮子がカッコよくこの世を去ってイマココ。


人は生きている間にたくさんの人とお別れするのだと改めて思います。


身近なところで祖父母、親戚、大人になるにつれ他人の死も身近になる。

私も大人になって仕事の関連が増えました。直接知らなくてもお世話になってる方のご両親、取引先の先代の社長とか…心を持って行かれない社交辞令圏内のお葬式参列だけというもの。

何も思わなかった。

テキスト通りのお悔やみ、お香典。お中元やお歳暮を送るようなものでした。


私の中では父親の死が唯一の死別でした。

この世の果てまで行っても絶対に会えないという現実を受け入れるのにどれほどの時間を要したことか。


そんな私が10年前乳ガンになり、そこで知り合った人たちの死をこれでもかと見せられることになりました。

父の死以外、たまたま立ち止まった交差点で車が目の前を通り過ぎていくような無味で無色だった人の死が再び色をつけて私の目の前に置かれ出したのです。


何度も会ってご飯を食べたり、お茶したり、たわいのない話を何時間もしたり、実際に交流のある人だけでなく、ブログを書いている人も多かったので会ったことが一回しかなくてもその人の書く文章を読んで状況、気持ち、家族のことまで知ることになります。そうなるとその人の人生が私に語りかけてくる。今までのような「他人事の死」ではなくなってしまうのです。


仲の良かった友達だけでなく、一回しか会ったことのない人ですら今もその人のことを思います。



受験前だったけど今は大学に通ってるのかな?女の子だったし、お母さんいなくて寂しいだろうな。あんな素敵なお母さん、なかなかいないもんね。


お葬式で泣いていたご主人はどうしてらっしゃるかな?ゴミ出しなんて一度もしたことなかったのに妻の病気がわかってからずっとやってたあのご主人。何回も離婚してやる!と思ったけど病気になってこの人で本当によかったって奥様が思ってたこと知ってますか?


あの障害を抱えた小学生の子供さんはお父さんと仲良くやってるかな?日曜日は2人で公園で遊んでいるのかな?お母さんは最後までとても心配してたよね。でも、あのお父さんなら絶対大丈夫だよね。


初めて会った時よりあんなに大きくなったけどまだ中学生だよね。もっともっとお母さんにしてもらいたいこといっぱいあったはずなのに。年相応に反抗しながら時々喧嘩しながらもっと過ごせたらよかったのに。お母さんはキミのこと本当に大事に思ってたのに。だからちゃんと幸せになってね。


今も一緒に読んだ本を時々見返しながら、いろいろ話したいなぁって思う。年も全然違うのに共感できることがいっぱいあってすっごい楽しかったよ。

あんなつらい状況で驚くほど毅然と美しくこの世を去った姿はカッコ良すぎるよってイヤミのひとつも言いたくなるくらい立派だった。こんな年になっていろんなこと共感できる友達に出会えるなんて思わなかったから。本当にありがとう。


ねぇ、幸せだったかな。あれが最善だと思って勧めたけどちゃんと心は幸せでしたか?今も時々あれでよかったのか、いや他の選択肢があったのかと思いつつ…もうどうしようもないのだけれど。いつものようにいっぱい食べて笑って話して「またね」と言って、またの機会が永遠になくなってしまったことが本当に悲しい。今もどこか宙ぶらりんのまま、その死を受け入れられないでいます。



つらつらと日々思うことを書き連ねてみたけど、この作業は多分ずっと続くんでしょう。


いつか自分が灰になったら、また誰かが私のことをこのように思うことがあるのかもしれない。


死によってお別れするということはものすごく悲しいことなのだけれど…父親を亡くした当初の若かった私はその悲しみとも怒りとも区別のつかない真っ黒な闇のような感情に飲み込まれもしたのですが、こうしてゆるゆると大人になってまた違う視点で死を見ることができるようになったかもしれません。


その人の生きてきた日々、時間が価値のあるものだと。そして、遺された人たちはその価値をしっかり受け止めて自分の生をまっとうしなくてはいけない。


ある意味、死別はとても正しい別れ方なのかもしれません。

この世で喧嘩したり、ドロドロに揉めて付き合いがなくなるという別れはどうしようもなく不幸なことで、もう今後一切関わりもない。どう生きようがどうなろうがお互い知る由もない。そして、付き合った時間も出会ったことすら後悔する。

しかし、死別はその人の人生を最後を知ること。お互い生きていたらずっと続いていたはずの関係。

死という以外に別れる術のない鉄壁の関係。


親兄弟でも夫婦でも友達でも生きながら絶縁することはあるのですから。


お互い元気なのに縁を切った人の人生はもう無関係で無意味だけど、死によってお別れした人たちは自分の人生にずっと刻まれる、いわば自分の一部になるのではないでしょうか。


まぁ私もそんないいことばかりがあるわけでもない日々ですが、今周りにいる大好きな人たちともう会えなくなった人たちとの思い出とともに残りの人生もしっかり過ごしていきたいなと思う今日この頃です。



話は戻りますが、大石静氏の「介護と仕事の両立は困難だったが、45年間で一番優しく接した時間」


私もずっと忙しかった父と闘病の最後の一年を看病でともに過ごしました。

死に向かうだけのつらく、悲しいまったく希望のない日々でしたが、あれほど父と一緒にいた時間はそれまでなかったんです。

だからあの一年は今も神様からのプレゼントだと思っています。

いいことなんて何ひとつなかったのに、こうして時間が経った今、私の人生で大切な宝物のような時間になりました。

深い悲しみも悔しさも怒りも、葛藤も後悔もすべて飲み込んで。


35年かかったけどw


それではみなさん、まだまだ暑い日々ですがナイスお盆をお過ごしくださいカキ氷