現代は様々な情報で溢れかえっていて
敢えて『無心になる』時間が必要だなーと
思うことが度々ある。
自己理解のキッカケとして、
そして、集中力を高めるために。
初めて『無心になる』という言葉を
言われたのは、高校生だった頃。
弓道部に所属していたときだった。
入部当初は130人位いた部員が、
袴姿でカッコよく弓を射るまでに
厳しい先輩とキツいトレーニングの
理想と現実のギャップで
毎日、次々と誰かしら辞めていった。
つまらなかったら、辞めよう!と
思うことはあったけれど、
人数が減り、
やーっと弓を引かせてもらえるようになり、
的の前に立つことができたのは
1学期が終わりそうな頃、
暑くなり始めてからだった。
それまでは、先輩の弓を引く作法、
動作などを見て学ぶ毎日だったこと、
弓道は礼に始まり礼に終わるという心得を持ち
自分と向き合い、精神を鍛錬することを
日々言われていたので、
『的の前に立つ場所』というのは
ある意味、神聖な場所にさえ感じていた。
部活で先輩が厳しかったり、
理不尽な連帯責任で
正座させられることも多々あったけど、
辞めなかったのは、
礼をわきまえ、弓を引いて放った矢が
的に中(あた)るのが心地良かったから。
そのうち、弓を引いているときは
『無心になる』ということを教えられる。
初めは、どういうこと???と思ったけど、
弓道は弓を引いている射形、土台が正しく、
雑念を払い、時が来たときに自然に放つと
的を射るようになっているというもの。
まるで熟したリンゴが自然と木から
地面に落ちるように。
と言われても、、、最初は戸惑った。
でも、それが力まずに正しい射形で
弓を弾けているか、
邪念を捨て、自分と向き合い、
精神を鍛錬するということに
繋がってくる。
ただ的に中てるのが目的ではなく、
基本精神を理解した上で弓を引けるか、
最終的に残った仲間は9人だった。
今でも、時々思い出す。
『無心になる』というとき、
真っ青な芝生の奥に的がある光景を。
そして、試合前にコーチから
『ここまで練習してきたから、
”まな板の上の鯉”でいる!
ということを忘れずに』という言葉を。
”まな板の上の鯉”は毎回、
試合前のコーチの口癖で
この言葉が出るたびに、
こっそりと仲間と目を合わせて
笑っていたけど(*^_^*)
