今日、正確には昨日の夜、恋人と別れてしまいました。
去年の12月2日から付き合い始めて、もうすぐ1年になるところだった。

何かを考えていないといられなくて、でも何も考えられなくて、眠れなくて、こんな時間になっちゃった。
じっとしていると心臓がどきどきして、胸が苦しくて落ち着いていられない。

友達に電話して、話を聞いてもらって、泣いて、ちょっとすっきりして、落ち着いて、もう大丈夫、と思って、最後は笑って、でも電話を切った後またいてもたってもいられなくて…。
今度は姉に電話をして、でももう大丈夫ですといって、すぐ電話を切って。

全然大丈夫じゃないです。

指輪と写真ともらったものを箱に入れて、姉の部屋の奥の方にしまいこんで、
携帯のメールを全部消そうと思って、でも消せなくて、とりあえず専用フォルダへの振分けを解除して他のメールに紛れさせて、
写メも全然消せないから、今度は逆に新しいフォルダを作って、そこに全部落として、
で、ベッドに入って、自分の何が悪かったのか考えようと思って、今日言われたことを思い出して反芻して、
でも次の瞬間には、思い出すのはやめよう、忘れてしまえば平気だ、と思い直して、
そしたら全ての出来事が他人事みたいに思えてきて、
なんだ、平気じゃないの、と思った瞬間に胸が苦しくなって、
それを何回か繰り返してパソコンの前に来た。

みんな、同じような道を通ってきたってことは分かってるんだけけど、そして、朝の来ない夜はないってことも分かってるんだけど、今を、この瞬間をどうしたらいいんだろう。
今日の夜をどうやって過ごしたらいいんだろう。


ふと、ほったらかしっぱなしのこのブログの存在を思い出して、まだパスワード覚えてるかな、とか考えながらアクセスしてみたら、2回目のトライで懐かしい画面に繋がった。

吐き出そう。
この苦しさから少しでも楽になるために、今感じている痛みを、これからの人生に役立てるために。


R、ごめんなさい。
そして今までありがとう。

今、別れてから5時間目の私は、Rとやり直したい気持ちでいっぱいだけど、今またスタートし直しても、同じことを繰り返して、Rにいやな想いをさせるだけだっていうことが分かってるから、もうやり直そうとは言わない。

本当にRとの別れが辛いのか、それとも、ただ毎日を一緒に過ごした存在がなくなったから辛いのか、どちらかをきちんと見極めるためにもしばらく時間をおいて、それでもどうしてもRが欲しいと思ったら、自分が悪かったところを客観的に見つめて、ごめんなさいと心から言えるようになったら、今度は私から会いに行きます。


Rは、私が、本当のR自身のことを好きでいてくれるのか、それとも私の理想のRを作り上げて、その自分ではないRのことを好きなのか、ずっと分からなかったと言った。
そして、「自分から好きになって、ようやく手に入れたという経緯があるから、その理想のRに近づこうと頑張ってきたけど、ふと、本当の自分が誰なのか分からなくなった」と。

確かに最後の方は、「俺のどこが好きなのか分からない」とか、「俺は君のお父さんやお兄さんみたいには一生なれないけど、それでも本当にいいの?」とか、何度も聞かれていた。

私は、Rがそんなに悩んでいるとはこれっぽっちも知らずに、いつも適当に答えていたと思う。

そして、いつもRにないものばかりねだっていたよね。
Rはあるがままの私を受け入れてくれたのに、私はいつもRを非難してばかりだった。

まぁちゃんに言われたよ。
人の悪いところとか持っていないものばかりを探すんじゃなくて、いいところをどんどん見つけて行く方が、相手も幸せにできるし、自分も幸せになれるよって。

どうしてこんな簡単なことができなかったんだろう。

大馬鹿者で出来損ないで自分勝手な私は、こうやって無くしてみないと、本当に大切なものが見えないんだ。

今は後悔と動揺と疲労で頭がぐちゃぐちゃで、上手く考えられないけど、Rに言われたこと、真剣に考えるよ。


苦しめてしまって本当にごめんなさい。
人生に悩んでいる時に、支えになってあげられなくてごめんなさい。
自分勝手な私につきあってくれて、ありがとう。
私に、好きな人と過ごす幸せをたくさん与えてくれてありがとう。

Rがこれからどんな人生を歩むのか分からないけど、Rが抱える痛みや悩みから少しでも解放されて、幸せな日々を過ごしていくことを祈ってます。

ずっと指輪をつけていた薬指が、指輪の存在のなさに痛みを感じているよ。

眠れないけど、おやすみなさい。
さようなら。
今日、生まれて初めて「職安」に行ってきた。

この100年に一度だとか言われるリーマンショック以降の大不況で失業者が大量に溢れ出し、職安(正式には公共職業安定所もしくはハローワーク)は大にぎわいだという。最近の新聞記事には、ハローワークの正規職員を緊急に数百人増やし、臨時職員と併せて2千人規模の増員をするという話もあったくらいだ。4月にハローワークを利用した友人から、初回の手続きは3時間半待ちだったという話を聞いていたし、ハローワークのウェブサイトを見ると、2~3時間待ち状態ですと書いてある。どんなに待ち時間が長くてもいいように、3冊の本をカバンに入れて、管轄のハローワークへと足を運んだ。

実際、到着してみると、思った程の混雑ではない。なにしろ今日が初めての利用だから、通常時との比較ができないのだが、求職者で溢れかえって、満員電車みたいになっているのかと思ったら、案外平静な様子で拍子抜けした。立って待っている人もいないくらいの人数だし、そこまで悲愴な顔をした人も、少なくとも表面上では見受けられなかった。結局、初回受付→求職手続き→雇用保険の受給資格手続き&審査と、3段階併せて2時間で終了した。

無知なもので、今回、自分自身が雇用保険の給付対象になるまで、ハローワークというところが何をするところなのか、漠然とした知識しか持ち合わせていなかった。なんとなく、職を失った人が、政府からの補助を得ながら新しい職を探すところというイメージを抱いていたのだけれど、まあ、それは大きくは外れていない。ただし、この生活のあらゆる面にインターネットが入り込んでいる世の中、求職活動の多くは、特に若い人のそれは、インターネットなどを通じて行われるケースがほとんどだ。ではなぜ職を失った人が続々と職安に通うのか。答えは「雇用保険をもらうため」だった。

雇用保険、通称失業保険は、その名の通り、仕事をしていた人が職を失った時に資格が発生する。ただし、雇用保険と冠している通り、再雇用を目指している人を支援する為の保険だ。だから、仕事を辞めた人が皆もらえるわけではなくて、必ず「失業」と「次の職への職探し」がセットでなくては、受給資格は与えられない。つまり、転職する前にしばらく学校に通いますとか、妊娠していますとか、即時の就職が見込めない場合には、保険はもらえないのだ。そして、職探しをしている証拠を1ヶ月に1回提出しなくてはいけない。

さらに、受給の開始時期も、失業の理由により大きく変わる。自分で退職を決意した「自己都合」の場合は、3ヶ月間は支給されないのにたいして、事業主の都合(解雇/倒産など)の場合は、原則申請日の1週間後からが支給対象になる。恐らく、自己都合で退職した人は、自分で退職時期を決めたんだから、退職する前に職探しをする余裕があったでしょ?ということだと思う。

私の場合は、事業主の都合での退職で、且つ次への職探しはすでに開始しているので、特に何も聞かれることもなく即日給付開始となった。色々と聞かれることを想定して準備していたのに、拍子抜けするくらい。現在は全くの無収入な訳で、以前の給料の何割かをもらえるというのはとても大きい。生活費のこともあるし、就職活動というのは意外にお金がかかる。スーツだ鞄だと大きい出費もあるし、対策本や履歴書、写真代なんかもばかにならない。これを補助してもらえるのは本当にありがたいことだ。まぁ、元を正せば、自分が働いている間に収めていた雇用保険料が返ってきているだけと言えなくもないんだけど…。

ともかく、無事に雇用保険が支給されることとなったので、これからはより安心して、日々の活動に専念出来そうだ。明日からは、今後の方針についてまとめていこう。後、今日持って行った3冊の内、2冊を読了したので、その感想などもまた明日。

おやすみなさい。
久しぶりにブログの記事を書く。

2年前と同じく、またNEETになった。
一日何もしないでいると、時間が飛ぶように流れて行く。仕事を辞めてから1月近く経つのに、振り返ってみると何もしていないことに気が付いた。このままではマズイ!と思った時、ふとこのブログの存在を思い出した。

2年間、自分のブログなどまるっきり見ないで過ごしてきた。
あの時も、今と同じように進路に迷い、現状を変えるためにブログを書き始めた。今までブログを見もしないで済んだと言うことは、一応、立ち止まらずに進んでいたということだと思う。

もし、万が一2年前の私のブログを読んで下さっていた方が、何かのきっかけにふとこのページを訪ねてくれたなら、お久しぶりです。2年前と特に何も変わっていません。変わったことを強いて挙げれば、とある大手メーカーで2年間派遣社員として働く間に、会計学へ興味を抱き、独学で勉強を始めたことでしょうか。まだ迷いはあるけれど、最終的には国家資格も視野に入れて勉強しています。

他に変わったこと…。2歳年をとった。犬を飼い始めた。恋人ができた。日商簿記の二級を取った。スキーSAJの1級を取った。うん。やっぱりあまり変わっていない。

また少しずつ、前へ進むために、日々考えていること、やったことを書き連ねて行こうと思う。

よろしくお願いいたします。