21日に父親の49日にあたり納骨に行った。
私は無宗教だと自負してはいるが、形式的な日本的宗教儀式
まで無視するほど徹底はしていないし、いわゆる中途半端な無宗教
であると思っている。

父の死にあたり、現在大きく伸びてきている何とかセレモニー屋
が群がってくる。

料金は昨今の葬式不要論をうけてかどうか知らないが、ピンキリで
ある。儀式を安く上げるためには神式がパフォーマンスが良いとの
事であった。

結局我が家はお別れ会という宗教色の無い、質素な葬儀を行った。
葬儀屋セレモニー屋さんにとっては不本意な付加価値の低いセレモニー
であったかも知れないが、少人数で落ち着いた葬儀であったと思う。

母親は10年以上前に送ったが、会社関係、宴席関係入り乱れて、お通夜
は宴会状態であったし、喪主サイドとしては、出席者、お坊さん
その他気を使うことが多すぎて、故人とゆっくりお別れの感傷に
浸る間も無かった。

現在の葬儀は、宗教色の無い、見栄のお祭りとかしている感がする。
飲み屋の話をここで出すのは不遜かも知れないが、飲み放題のコース
料理と同じレベルではないかと思う。

3000円コース:コース料理5品つき、4500円コース料理7品つき+銘酒
飲み放題というやつだ。

葬儀屋のビジネスモデルは以前より格段に進化している、オプションに
キッチリと値段がついているし、戒名も仮戒名から本戒名まで明朗会計だ。

どっかのボッタクリバーとは大違いではあるが、人の死という厳粛な
儀式を喪主側の見栄をくすぐる事により、値段を目標額まで吊り上げる手法
はもっと悪質かも知れない。ボッタクリバーだったら、金がなければ
有るだけ置いていけ、値切り倒す等ができるが、争議のオプションを
負けてくれという急進増なやからはそうそう居ないのではないか。
弱みに付け込む点では同じだが、その狡猾さは知的なものがある。

なんとも、人の弱点をつくビジネスモデルを作ったものだと感心すること
しきりである。