こんにちわ。

佐賀市で「ICT教育×eスポーツ×遊び場」を運営しているDigitalStudyです。

子供向けプログラミング+パソコン教室や大人向けパソコン教室など各種デジタル教育の教室を運営しています。

 

 

今日は「ゲームにお金を払って習う意味はなに?」について記事にしたいと思います。

 

最近やたらインスタなどの広告でeスポーツ教室の広告などを見るようになりました。

先日北九州の福津市にあるeスポーツジムのON TOPさんという所があり、勉強も兼ねて視察に行かせて頂き、社長さんと話をさせてもらいましたが、現在小学生を中心にeスポーツ教室に120名近い生徒が在籍しているそうです。

 

eスポーツ関連に従事していてそこまで生徒数がいるという教室は全国でも初ではないかと思います。

 

 

  遊びとゲームとスポーツの区別は何?

 

 

サッカーを遊ぶゲームを遊ぶ

 

 

これに違いはありませんが、

 

サッカーを3時間練習するゲームを3時間練習する

 

こうなるとサッカー「本気なのかな?感心感心」となりますが、ゲームの場合「ゲーム依存かな?ゲームばっかり!!」となりがちです。

 

 

この違いって何でしょう?

 

 

ゲームを8時間やる

 

これは「けしからん」となりますが、

 

 

サッカーを8時間やる

 

これはどうなんでしょう?

私からすればちょっと異常かな?と思いますが、「すごく頑張ってるね!」と感じる方もいるようです。

 

 

このニュアンスの違いはやはり「サッカーは為になる」「ゲームは為にならない」というフィルターの問題だと思います。

 

 

 

サッカーの技術を磨くにはボールを受ける技術やアウトサイドキック、シュートやドリブルの技術が必要です。

ゲームには反射神経を鍛える必要がありますし、操作技術を磨くために握力が必要だったり、入力する為に運指であったり、勝つための戦術や分析力を磨く必要性があります。

 

 

これってゲームは為にならないのでしょうか?

 

 

  ゲームが忌み嫌われるのは「言葉遣い」と「中毒、依存」

ゲームをやると言葉遣いが悪くなるというお話を良く聞きます。

確かに我が息子もゲームが好きで口が悪くなる時期が確かにありました。

しかし、口の悪さに対してしっかりとしつけを行い今は特に問題視するレベルではないです。

 

そもそも子供は口が悪いです。

覚えた言葉をすぐに使いたがるもので、大人が嫌がる言葉を使いたがります。

 

「ゲームで言葉を覚えた」というより元々覚えた言葉をゲーム時に発しているというのがニュアンス的に近いかと思います。

子供が複数人数集まって、勝ち負けを競う事をやれば、ゲームでなくても鬼ごっこでも、サッカーでも煽りあって口が悪くなるのは避けられないと思います。

 

「その言葉は使ってはいけない」というのはゲームに関わらずしつけでカバーすべき問題かと思います。

 

ではなぜ言葉遣いが悪化していくのか?

 

それはオンラインで子供たちが繋がっていて、お互いに煽り合っている現状を大人たちが見れないからです。

自室でのプレイや共働きで家にいないなど、大人の管轄外での自由行動の時に好き放題やる事が原因だと私は考えます。

 

 

また、サッカーと違ってゲームが中毒だと認識されやすのは「どこでもできるから」という部分です。

家の中でサッカーをやれば保護者は大激怒なわけで、いつでもどこでも場所を選ばずすぐにできるという利便性がゆえに、ゲームが気軽にできるという部分があります。

 

さらに、子供がサッカーをやっている時は外にいるわけですから、保護者は子どもがサッカーをやっている姿をそんなに目撃できません。

ですがゲームは家でやりますのでしょっちゅう目撃します。

 

そこの違いも大きいかと思います。

 

 

  口が悪くなるからゲームをさせない?

さて、ここで例え話ですが、粗暴な子供がいたとして、すぐに暴力で解決しようとします。

この時最初に考える対策はなんでしょうか?

 

それは空手や柔道、ボクシングなどの武道の習い事に通わせて、ただの暴力を武道に変えてその才能を殺さずに正しい道に修正しようとしませんか?

 

 

ではなぜゲームは取り上げる、やらせないという方向に至るのか?

 

ゲームが得意な事で自己肯定感がある子供。

一生懸命頑張って技術を磨く子供に対しての選択肢が「修正する」ではなく「取り上げる」という選択肢は非常にせつないと思います。

 

 

私自身ゲームが得意な事が自慢ではありましたが、自分が好きな事、頑張っている事を親にさんざん否定されて、「ゲームばっかりやってるからバカになった」となじられる日々で、自己肯定感も何もなかったです。

 

 

「ゲームが得意」というのは「足が速い」「腕っぷしが強い」「頭の回転が速い」と同じくその子の才能だと思います。

 

 

  ゲームに関わる問題はたいてい場所の問題

ゲームは中毒になるよう設計されていますので、親のコントロールができなければ確かにハマりっぱなしになります。

サッカーは場所が必要ですがゲームは場所を選びません。

 

ですので、私が提案するのは「ゲームをしていい場所」を作る事が命題だと思います。

 

ゲームを否定せずうまくコントロールするには、このゲームをしていい場所を作り、そこであれば誰も文句を言わないという環境です。

 

そこに口の悪さのしつけであったり、スポーツマンシップであったりと、粗暴な子が空手を通して武道の精神を得るように、ゲームもeスポーツ教室を通してスポーツマンシップの精神を得る事で、上手にゲームと付き合いながら人間として成長していく事になります。

 

 

  eスポーツ教室は単なる技術を磨く場所ではない

 

もちろんスポーツですので、そこに勝ち負けがある以上技術を磨く事は前提ですが、それを通した礼儀や相手をリスペクトする気持ち、努力を通しての結果であったりと、それはサッカーやバスケなどとなんら変わりはありません。

 

たまたまゲームが好きで、ゲームが得意な事が自慢であるなら、その才能を伸ばしてあげるという考え方です。

 

地元のサッカー教室を習わせる際、もしかしたらプロのサッカー選手になるかも…と親バカ思考にはなると思いますが、それが目的ではなく人間として成長して欲しいという部分が大きいかと思います。

eスポーツ教室はゲームが好き、得意な子が肯定的にゲームを捉えて「頑張ったね!!」と言ってもらえる場所です。

 

 

  ゲームを教えられる人はそう多くない

 

ゲームの技術を教えられる人はそれなりにいますが、子供のしつけも含めて人間としての成長を含めて教えられるという人はまだまだ少ないです。

 

というのも、現状のプロゲーマー含めeスポーツ業界全体として、ゲーマーの社会性、人間性に関して疑問符がついているのも事実です。

 

それはまだeスポーツという考え方が備わってない時代のゲーマーがメインとなっており、どちらかというと当時は「社会不適合者」の烙印を押されていた方々がプロゲーマーになっていたりと、なかなか難しい問題です。

 

それから今はその部分にかなり焦点が当てられ、「ゲームを正しく導くことが大事なんだ」という風潮になり、そういった人材を育てる意味も兼ねてeスポーツ教室が増えているという現状があります。

 

私もその一人です。

 

 

  子供の才能を伸ばしつつ人間としての成長を促すのがeスポーツ教室である

 

これがeスポーツ教室にお金を払って習う理由になります。