7月15日の衆議院特別委員会での、
与党による「安保法案・強行採決」をにらみ、
全国20都市で運動会が行われたそうだ。
東京日比谷音楽堂での運動会には、
2万人が集結したらしい。
今日1日でどれほどの国民が運動したのだろう?
60年~70年安保闘争以来の、
驚異的なうねりになっている。
私の住む町内でも、夕方から運動会があったので、
7月11日の若者たちの発起による運動会(前回の記事)に続いて参加してみた。
(・・・なんだか、ちょっとした運動会オタクのようだな、こりゃ)

学生達の企画とは違い、
幅広いグループが参加を呼びかけていたため、
恒例のウォーキングが始まる前に、
すでに1500人近い参加者が集まってきた。
暮れなずむ都会の空の下、
異様な時空の狭間に放り込まれたような錯覚に陥る。
準備運動として、
弁護士や大学教授、いまや引っ張りだこの憲法学者、
団体代表者などが、各々の心意気を声高らかに響かせる。
さすが運動会の専門家達だ。
ことに憲法学者の発声練習は、
愉快な小説を読んでいるかのように痛快で面白い。
大きな拍手に包まれ歓声が沸く。
ひととおり発起人たちの発声練習が終わり、
時計は19時、いよいよウォーキング開始だ。
参加者は手に手にメッセージを掲げ、路上へと流れ込む。

前や後ろを見渡してみると、
ものすごい数の集団が大通りの1車線を縦列している。
日比谷の2万人には遠く及ばないが、
1500人どころではないんじゃないか?
この街に住み始めて20年になるが、
この街の中心の、こんな大通りをウォーキングするのは初めてだ。
そして、大通りの路上から見る街の景色。
と、突然不思議な感覚にとらわれる。
歩道を行き交う日常の歩行者達。
街のど真ん中の広場で大騒ぎするビアガーデン。
脇腹を追い越してゆく車の波。
異様な時空の錯覚が益々膨らんでゆく。
若い歩行者達は、自分の将来について、
何を考えているんだろう?。
ビアガーデンで盛り上がる群集は、
緊迫する未来をどう考えているんだろう?。
車の運転手は、このウォーキングにイラついていないだろうか?
いや、果たして、
あの歩行者達も、ビアガーデンの群集も、運転手も、
みんな現実なのだろうか?
機械的に繰り返される運動会のシュプレヒコールが、
次第に耳から遠のいて、アンバランスな浮遊感に包まれていく。
そして突然世界から遊離したような孤独感が襲ってくる。
自分はどこにいるのだろう。

マジック・アワーだ。
これは黄昏の幻想だ。
世界が現実と幻想の狭間で孤独に包まれている。
深い藍色に染まる空を見上げながら、ぼんやり考えた。
この運動会にどれほどの意味があるのかわからない。
多勢で声を上げて街を練り歩いても、
政権の目を恐れた報道機関は、
こうした運動会を時事として扱わない狂った時代だから、
ただのお祭り騒ぎにしかならないかもしれない。
それに、わざわざ地方でこんな運動会をしなくても、
平和安全保障法案の採決を単独強行すれば、
国民を舐めきった与党は自爆するに違いない。
けれど、
君が代・日の丸を強制し、
教育者たちを制縛し、
国民を番号制化し、
秘密保護法を無理無体し、
徴兵制を目論んで選挙権年齢を改定し、
着々と確実に軍国への道筋を形成しながら、
堂々と憲法違反を遂行しようとするゾンビ的な輩たちだ。
やがて、宿敵九条を抹殺する段階にも入るだろう。
多くの無関心のために政治の横暴に振り回されながら、
墓穴を掘らされて生きていく人生もあるだろうが、
私はそんな人生は嫌だ。
私は音楽という表現でメシを食っている。
私は、私の家族や仲間や音楽を私から奪うものに対して、
たとえそれが幻想の運動会であっても、
たとえ現実から浮遊した孤独感に苛まれても、
たとえ相手が狂った亡者どもでも、
私なりの手段で抗戦する意志は持ち続けていたい。