しばらく休眠といいつつ、少しだけ・・・

支持率急降下ですね~
今回の犯罪は、政権によるクーデターですから、
撃沈するのも間もなくですねぇ~

新国立競技場、やってますね~、責任のなすり合い
ヤクザな森くんとトンチンカンな安藤くんのおかげで、
国民に大きな負担を強いられる寸前でしたねぇ~。
1ヶ月前から見直し検討してたとホザいた安倍くんに至っては、
もうお笑いですね~、アホの極みですね、いや、アホ以下ですねぇ~。
森も安倍も歴代最高の汚名が残せましたね~
よかったねぇ~、本望だねぇ~


もうすぐ8月
8月には次々と記念日がやってきて、
いろんな所で記念行事や報道番組があ(るかな?)って、
国民の心が70年前に動く時期でしょう
(その前にクーデター起こしたかったんだろうけど)
良識ある国民の意志は、
さらに大きなうねりになっていくでしょうね~。
白紙撤回の偽善くらいで、こちとら騙されないよ~っだ
支持率挽回不能、残念だったねぇ~



さて、昼寝でもしよ

さて、久しぶりに映画の話題。

映画館公開された時から気になっていたんだけど、
タイミングが合わなくて見送ってしまった映画。

DVDでレンタルが始まっていたので、さっそく鑑賞。

・・・・・・

すごい映画を観てしまった。

これはここ数年の日本映画の中で、
最も光り輝くおばちゃん、いや、作品ではないだろか・・・・



沖田修一 脚本・監督作品 「滝を見にいく」
公式サイトはこちら

紅葉と幻の滝を観光する温泉ツアーに参加した七人のおばちゃんが、
その紅葉ど真ん中で迷子になるお話し。

おばちゃんたちはそれぞれ面識がなく、
このツアーのバスの中で知り合いになる。

下は40代から上は70代、実年のおばちゃんたちが、
山中で一夜を乗り越えるサバイバル物語。

驚いた。

なんて低予算なんだ!
実情は知らないが、観るからに低予算にみえる。
セットは山中のロケそのまま。
特殊効果もなければ、登場するキャストは全部で9人だけ。
その中の数人は役者経験の浅い素人さんだそうだ。
衣装もひとりワンセット。
消えもの(食べ物)も山中で取れる、キノコやらクルミやら雑草やら・・・。

なのに、この出来栄え!

イラスト:古谷充子さん(古谷さんのホームページ

七人のおばちゃんたちがまたいい。
だんだんみんな、少女に見えてくる。
みんながみんな、個性もバラバラで好みの違いもありながら、
どの娘たちもキラキラと輝きだして、
そのお互いの個性が共存し、優しく結束していく。

コメディーなんだけど、
みごとな人生賛歌。

それぞれの人生があって、
誰もが大人にならざるを得なくて、
背負い込んだ喜びや悲しみの記憶があって、
でも誰もがいつまでも純粋な乙女の心を秘めていて・・・。

深夜の山中で熊の出没におびえながら、
皆で大合唱する歌は、涙なくしては聴けなかった(笑)
あの歌、子供の頃によく聴いてたけど、
いや~、こんなにいい歌やったんや~と、涙ハラハラ・・・
たくましい女性像に乾杯!

そして、ある目的を果たすシーン。
迷子の状況から脱するために結束を固めながらも、
目的を果たした場所では、
七人のおばちゃんそれぞれが、
自分の人生の世界に浸ってゆく。

これが人間なんだ、だから人間なんだ、
って思わせてくれるステキなシーン。

ここ数年、お先真っ暗な世相の中で、
人生を楽しもうと思わせてくれる、
こんな珠玉の作品に出会えて嬉しかった。

この映画の一番最後のセリフ、
そのひとことが最高にいい。
落語に通ずる粋な〆だね。
人生の道標です。

脚本、お見事です。


これは何度でも観たい逸品です。
DVD買おうかな・・・


本文中の画像は、「滝を見にいく」公式サイトより拝借、謝。





強行採決のシーンを観たけど、なんだか絶望的だった。

自民党の暴力政治もさることながら、
公明党は相変わらず政権にすがりつく日和見で、
政党としての存在意義はその影すらもなかったし、
野党も野党で、TVカメラに向けてのプラカード抗議など、
観るに耐えない茶番劇だ。
国民主権と唱えながら、
やはりどこにも国民に権利があるようには思えない。


前日の運動会で感じた「孤独な浮揚感」はこれだったんだな・・・。


新国立競技場計画の突然の見直しは、支持率挽回も含め、
選考建築家の記者会見の発言を恐れてのことだろう。
見え透いている。

さて、参議院での審議に移行する。
まだ何が起こるかわからない。
そろそろ関西のあの血気盛んな御仁も登壇したりして、
維新機能不全にでもなれば、
この奇妙なミステリーも第3章の「転」を迎える。
あるいは権利を無視されコケにされた反乱軍の反撃なるか。



日本には世界戦に耐えうる軍事力が備わっているそうだ。


だからなんなんだ。




さて、ぼちぼちこの茶番的なおまつりごとネタは休眠して、
次回からは、本来のさすらうDigitalなDrinkerネタに戻ることにしよう。

7月15日の衆議院特別委員会での、
与党による「安保法案・強行採決」をにらみ、
全国20都市で運動会が行われたそうだ。

東京日比谷音楽堂での運動会には、
2万人が集結したらしい。
今日1日でどれほどの国民が運動したのだろう?
60年~70年安保闘争以来の、
驚異的なうねりになっている。

私の住む町内でも、夕方から運動会があったので、
7月11日の若者たちの発起による運動会(前回の記事)に続いて参加してみた。
(・・・なんだか、ちょっとした運動会オタクのようだな、こりゃ)



学生達の企画とは違い、
幅広いグループが参加を呼びかけていたため、
恒例のウォーキングが始まる前に、
すでに1500人近い参加者が集まってきた。

暮れなずむ都会の空の下、
異様な時空の狭間に放り込まれたような錯覚に陥る。

準備運動として、
弁護士や大学教授、いまや引っ張りだこの憲法学者、
団体代表者などが、各々の心意気を声高らかに響かせる。
さすが運動会の専門家達だ。
ことに憲法学者の発声練習は、
愉快な小説を読んでいるかのように痛快で面白い。
大きな拍手に包まれ歓声が沸く。

ひととおり発起人たちの発声練習が終わり、
時計は19時、いよいよウォーキング開始だ。

参加者は手に手にメッセージを掲げ、路上へと流れ込む。



前や後ろを見渡してみると、
ものすごい数の集団が大通りの1車線を縦列している。
日比谷の2万人には遠く及ばないが、
1500人どころではないんじゃないか?


この街に住み始めて20年になるが、
この街の中心の、こんな大通りをウォーキングするのは初めてだ。

そして、大通りの路上から見る街の景色。

と、突然不思議な感覚にとらわれる。

歩道を行き交う日常の歩行者達。
街のど真ん中の広場で大騒ぎするビアガーデン。
脇腹を追い越してゆく車の波。

異様な時空の錯覚が益々膨らんでゆく。

若い歩行者達は、自分の将来について、
何を考えているんだろう?。
ビアガーデンで盛り上がる群集は、
緊迫する未来をどう考えているんだろう?。
車の運転手は、このウォーキングにイラついていないだろうか?

いや、果たして、
あの歩行者達も、ビアガーデンの群集も、運転手も、
みんな現実なのだろうか?

機械的に繰り返される運動会のシュプレヒコールが、
次第に耳から遠のいて、アンバランスな浮遊感に包まれていく。

そして突然世界から遊離したような孤独感が襲ってくる。

自分はどこにいるのだろう。



マジック・アワーだ。

これは黄昏の幻想だ。

世界が現実と幻想の狭間で孤独に包まれている。


深い藍色に染まる空を見上げながら、ぼんやり考えた。

この運動会にどれほどの意味があるのかわからない。
多勢で声を上げて街を練り歩いても、
政権の目を恐れた報道機関は、
こうした運動会を時事として扱わない狂った時代だから、
ただのお祭り騒ぎにしかならないかもしれない。
それに、わざわざ地方でこんな運動会をしなくても、
平和安全保障法案の採決を単独強行すれば、
国民を舐めきった与党は自爆するに違いない。

けれど、
君が代・日の丸を強制し、
教育者たちを制縛し、
国民を番号制化し、
秘密保護法を無理無体し、
徴兵制を目論んで選挙権年齢を改定し、
着々と確実に軍国への道筋を形成しながら、
堂々と憲法違反を遂行しようとするゾンビ的な輩たちだ。
やがて、宿敵九条を抹殺する段階にも入るだろう。

多くの無関心のために政治の横暴に振り回されながら、
墓穴を掘らされて生きていく人生もあるだろうが、
私はそんな人生は嫌だ。

私は音楽という表現でメシを食っている。

私は、私の家族や仲間や音楽を私から奪うものに対して、
たとえそれが幻想の運動会であっても、
たとえ現実から浮遊した孤独感に苛まれても、
たとえ相手が狂った亡者どもでも、
私なりの手段で抗戦する意志は持ち続けていたい。






とにかく足の太もも、ふくらはぎがパンパンで、
これ間違いなく筋肉痛ね。

5月中旬から、ず~っと引きこりだから、
そろそろ心と身体が鈍ってきたので、
これは運動しなけりゃいかん!と思い立ち、
昨日は梅雨の合間の好天に恵まれたこともあり、
とある公園にでかけた。
町内の運動会に参加しよう!
・・・その強い思いひとつで。


午後2時、公園にはちらほら人が集まり始めている。



運動会を始める前の、
運動に対する意義や諸注意などの確認がされる。
無理な運動をして、熱中症なんぞにかかっては本末転倒だ。
準備運動はしっかりしなければ。

こうした運動会に参加するのは小学生以来である。
父親に連れられて、頻繁に運動会に参加させられた記憶がある。
そのころはその運動の深い意味がわからぬまま、
なんんとなく大人たちのお祭り行事のひとつに参加している感覚だった。

今回は自主的参加である。

予定の午後2時半。
運動が始まった。



150名ほどの参加者に混じって、公園を出発。
公衆の道路に出ると、
片側3車線のその広い道の1車線を占拠して、
発声しながらのウォーキング。

参加者の大勢は頭上高く腕を上げ、
メッセージボードを掲げながらの発声運動。



ずっと子供を抱えながらウォーキングする母親の姿もある。
ダンベル運動よりも効果がありそうだ。
訳もわからず参加させられている子供の顔は、あのときの自分だ。
あの頃の自分がそこにいる。
ちょっと複雑な気持ちになる。

運動会は約1時間。

途中、私たちの運動にヤジを飛ばすフトドキ者も現れたが、
公安に守られている私たちの運動には、
なんの支障も起こらない。
屁でもない。プッ!

小学生時代以来の運動会参加なので、
運動開始直後はちょっぴり小心者的な身体の動かし方だったが、
それも次第に慣れてきて、
私も発声練習に参加できるようになってきた。

参加者の皆さんは真面目だ。
参加者はいつの間にか300人を越えているとのこと。
後ろを振り向くと、たしかに長蛇の様相になってきた。
そしてみんなが真面目に運動に参加しているのだ。
小心者では運動の効果は上がらないのだ。

こうした運動会を企画する集団には、
いろんな集団があって、
その運動会の選択には注意する必要があるが、
この日の運動会は、
学生を中心とした若い人たちが発起人となって行われたものだ。

未来は君たちのもの。

君たちの未来に、子や孫に、
汚点を残さないための責任を果たすためにも、
いま出来ることをしなければ。

これを機会に、
わたし、今後は正々堂々と必要な運動に参加して、
筋肉痛に打ち勝つ心と身体の維持を目指した、
健全な行動を続けたいと思いました。

追記:私は特定の団体や組織に所属するものではありません。また、特定の団体や組織を支持するものではありません。自己判断により納得できる運動会しか参加する意思はありません。



今回の運動会のチラシ
(※発起人や会場などが判る情報は伏せてあります)