ミャンマーで歴史的な動きが起こっている。

果たして、NLDは正義の民主主義を勝ち取れるのか。

現与党の、卑劣な軍部独裁政権からの脱却に、
世界中の注目が集まっている。

今回の総選挙で敗北宣言した現与党だが、
ミャンマーの憲法は、政権の交代を見越して、
軍部に都合のいい条項が並んでいるそうだ。

まだまだ長い時間を必要とするだろうが、
そんな悪法はひとつずつ、確実に潰していくしかない。

腐れ政府と軍人どもの暴力は、
いずれ民衆によって必ず糾弾されるだろう。


以前、このブログの映画ネタで、
「ラングーンを越えて」という作品を話題にした。

ラングーンを越えて Beyond Rangoon

政治的な理由で日本公開されなかったといわれる映画だが、
今、まさに歴史が動こうとしているミャンマーの過去を知らせるために、
この期に、劇場公開されても良いのではないかと思う。

家族と引き裂かれながら、自国のために闘う意思を表明した、
アウン・サン・スー・チーさんの、長い長い忍耐にも敬服するが、
国民に銃を向けた独裁政治家達に対し、
怒りをもち続けた民衆の忍耐にも敬服する。

秘密保護法、マイナンバー制、安保法と、
狂信的右翼集団の思うがままに進む日本も人事ではない。

来年の参院選に問われる国民の意思は重大だ。

何としても、悪法はひとつずつ、
ひねり潰していかなければならない。



ラストの歌は4分の4拍子で、とっても簡単。

総勢36名のみなさんで大合唱

華やかで、さわやかなラストシーを思い描いて作曲中!


さて、

歌唱指導者は、
余計なお節介の口出しせず、
ただただ歌唱指導のみに専念してもらい、
歌い方のアイデアは歌う皆さんで出し合って、
楽しみながら創り込んでもらいたいもんです。

振付師も、
どの作品にも毎度同じような振り付けばかりしてねぇで、
言葉が生きる振り付けを頼むぜよ。

この現場は専門学校じゃねぇんだからよぉ~。

創造性のないものはいらん。
常に産み出すことの格闘が出来ないのなら、
この世界でのお仕事は、さっさとやめたほうがいいべ。

と、厳しく提言しておこう。
自分の戒めのためにも・・・。

もの創りって、簡単なもんじゃねぇんだよ。
ディレクターからメール報告があり、

現場では、ブーイング はなく、

みなさん、楽しんで歌っているそうな・・・



・・・・・・ほんとだろうか・・・・・・・。



ま、いっか、このまま、ただただ、突き進んじゃえ!
あと1曲で歌のノルマが達成する。

指折り数える変拍子の毎日。



現場はブーイングの嵐だろう、たぶん。

だが、これはまだ、序の口。

このあと、大量のBGM作りが待っている。

混乱・錯乱する拍子に、
女性振付師はヒステリーを起こすだろう、たぶん。

だが、

女性はいつでも、平和でなくてはいけません。(Dansei-mo-ne !)

漫画家・お江戸エッセイストの杉浦日向子さんの話題を、
このブログにはよく書いたが、
わたしの一番のお気に入りの作家は、
児童読物作家の山中恒さん。

代表作には、
「おれがあいつであいつがおれで」
「なんだかへんて子」
「はるか、ノスタルジィ」
「オニの子ブン」
「ぼくがぼくであること」
「あばれはっちゃく」
・・・・と、枚挙に暇が無い。

上記作品の中の上3作
「おれがあいつで・・」、「なんだか・・」、「はるか・・・」は
大林宣彦監督により、それぞれ、
「転校生」、「さみしんぼう」、「はるか、ノスタルジィ」として映画化されている。
高校生の男女の心が入れ替わる「転校生」は、
何度も映画化やテレビドラマ化されているから、
ご存知の方も多いだろう。

わたしの手元には、
その山中恒さんの著作が、約80作以上ある。
児童読物というくらいだから、
その半数が小学生向きの読み物ばかり。
これが読んでいて、なんとも破天荒で痛快で面白いものばかり。
いい歳こいた私がゲラゲラ笑いながら読んでしまう。

あとの半数は、
戦中、戦後を通じた日本の教育に対する論評もので、
「ボクラ少国民」シリーズ、
「間違いだらけの少年H」
「子供たちの太平洋戦争」
「新聞は戦争を美化せよ!戦時国家情報機構史」
・・・・これもまた、枚挙に暇なし。

戦時中、山中さん本人が受けた皇国史観による皇民化教育。
敗戦後、教師達の掌を返すような正反対の民主主義教育。
その不信と憤りによる、戦中戦後の教育の検証を、
膨大な第一級の資料を基に書き上げている、貴重な作品群だ。


もう20年ほど前になる。
些細な偶然が重なって、
山中さんのご自宅にお邪魔したことがある。
私が山中ファンだと知る出版関係の知人が、
取材に同行させてくれたのだ。

山中さんの著作の中に、
戦中、飢えとの戦いの幼い日、
汽車の中で乗客からもらった赤いリンゴが忘れられない、
という一節がある。

山中さん宅への訪問の手土産は、
赤いリンゴと決めていた。
拙者のCDに赤いリンゴをのせて、
それをリボンで結んで手渡した。
なんとも不恰好な贈り物だが、それしか思いつかなかった。


今もその時の写真が残ってます。


山中さんは、満面の笑みでリンゴを受けて下さった。
ずっと両の掌に包み込んで、お話をしてくださった。



肖像権があるでしょうから、お顔は残念ながら割愛。


そして、リンゴのお礼にと、新刊(当時)を贈呈して頂いた。



山中恒氏著:「教えの庭に -ボクラ少国民 外伝-」




私の名前も書いて下さったが、ここでは消しておく。

日付を見ると、1996年5月29日となっている。

「八月か来るたびに悲しくなるのです。 山中恒」



のどもと過ぎれば掌を返す政治家や大衆の日本人気質は、
戦後70年たった今でも、なにも変わっていないと感じる。
「なかったことにする」ことばかりに力を注ぐ民族性。
日本人であることに誇りが持ちにくいのは、
愛国心を押し付ける者たちの腹の裏が見え隠れするからだ。

「一億総活躍」などと調子のいいことを言っているが、
この言葉を聴いて、
敗戦間近に旧帝国陸軍の狂った参謀たちが吼えていた、
「一億総玉砕」を思い浮べるのは私だけだろうか。


いつまでも先生と話していたかったが、
またの再会を約束してお別れした。
そしてタイミングよく、私が音楽を手掛けた作品が、
先生のご自宅の近所で公演することになり、
約束どおりの再会も果たした。

あれ以来、すっかりご無沙汰している。
先生、奥様の典子さん、お元気でしょうか。

わたしはあいも変わらず、
なんだかへんてこな音楽作りをしています。