漫画家・お江戸エッセイストの杉浦日向子さんの話題を、
このブログにはよく書いたが、
わたしの一番のお気に入りの作家は、
児童読物作家の山中恒さん。
代表作には、
「おれがあいつであいつがおれで」
「なんだかへんて子」
「はるか、ノスタルジィ」
「オニの子ブン」
「ぼくがぼくであること」
「あばれはっちゃく」
・・・・と、枚挙に暇が無い。
上記作品の中の上3作
「おれがあいつで・・」、「なんだか・・」、「はるか・・・」は
大林宣彦監督により、それぞれ、
「転校生」、「さみしんぼう」、「はるか、ノスタルジィ」として映画化されている。
高校生の男女の心が入れ替わる「転校生」は、
何度も映画化やテレビドラマ化されているから、
ご存知の方も多いだろう。
わたしの手元には、
その山中恒さんの著作が、約80作以上ある。
児童読物というくらいだから、
その半数が小学生向きの読み物ばかり。
これが読んでいて、なんとも破天荒で痛快で面白いものばかり。
いい歳こいた私がゲラゲラ笑いながら読んでしまう。
あとの半数は、
戦中、戦後を通じた日本の教育に対する論評もので、
「ボクラ少国民」シリーズ、
「間違いだらけの少年H」
「子供たちの太平洋戦争」
「新聞は戦争を美化せよ!戦時国家情報機構史」
・・・・これもまた、枚挙に暇なし。
戦時中、山中さん本人が受けた皇国史観による皇民化教育。
敗戦後、教師達の掌を返すような正反対の民主主義教育。
その不信と憤りによる、戦中戦後の教育の検証を、
膨大な第一級の資料を基に書き上げている、貴重な作品群だ。
もう20年ほど前になる。
些細な偶然が重なって、
山中さんのご自宅にお邪魔したことがある。
私が山中ファンだと知る出版関係の知人が、
取材に同行させてくれたのだ。
山中さんの著作の中に、
戦中、飢えとの戦いの幼い日、
汽車の中で乗客からもらった赤いリンゴが忘れられない、
という一節がある。
山中さん宅への訪問の手土産は、
赤いリンゴと決めていた。
拙者のCDに赤いリンゴをのせて、
それをリボンで結んで手渡した。
なんとも不恰好な贈り物だが、それしか思いつかなかった。
山中さんは、満面の笑みでリンゴを受けて下さった。
ずっと両の掌に包み込んで、お話をしてくださった。
そして、リンゴのお礼にと、新刊(当時)を贈呈して頂いた。
またの再会を約束してお別れした。
そしてタイミングよく、私が音楽を手掛けた作品が、
先生のご自宅の近所で公演することになり、
約束どおりの再会も果たした。
あれ以来、すっかりご無沙汰している。
先生、奥様の典子さん、お元気でしょうか。
わたしはあいも変わらず、
なんだかへんてこな音楽作りをしています。
このブログにはよく書いたが、
わたしの一番のお気に入りの作家は、
児童読物作家の山中恒さん。
代表作には、
「おれがあいつであいつがおれで」
「なんだかへんて子」
「はるか、ノスタルジィ」
「オニの子ブン」
「ぼくがぼくであること」
「あばれはっちゃく」
・・・・と、枚挙に暇が無い。
上記作品の中の上3作
「おれがあいつで・・」、「なんだか・・」、「はるか・・・」は
大林宣彦監督により、それぞれ、
「転校生」、「さみしんぼう」、「はるか、ノスタルジィ」として映画化されている。
高校生の男女の心が入れ替わる「転校生」は、
何度も映画化やテレビドラマ化されているから、
ご存知の方も多いだろう。
わたしの手元には、
その山中恒さんの著作が、約80作以上ある。
児童読物というくらいだから、
その半数が小学生向きの読み物ばかり。
これが読んでいて、なんとも破天荒で痛快で面白いものばかり。
いい歳こいた私がゲラゲラ笑いながら読んでしまう。
あとの半数は、
戦中、戦後を通じた日本の教育に対する論評もので、
「ボクラ少国民」シリーズ、
「間違いだらけの少年H」
「子供たちの太平洋戦争」
「新聞は戦争を美化せよ!戦時国家情報機構史」
・・・・これもまた、枚挙に暇なし。
戦時中、山中さん本人が受けた皇国史観による皇民化教育。
敗戦後、教師達の掌を返すような正反対の民主主義教育。
その不信と憤りによる、戦中戦後の教育の検証を、
膨大な第一級の資料を基に書き上げている、貴重な作品群だ。
もう20年ほど前になる。
些細な偶然が重なって、
山中さんのご自宅にお邪魔したことがある。
私が山中ファンだと知る出版関係の知人が、
取材に同行させてくれたのだ。
山中さんの著作の中に、
戦中、飢えとの戦いの幼い日、
汽車の中で乗客からもらった赤いリンゴが忘れられない、
という一節がある。
山中さん宅への訪問の手土産は、
赤いリンゴと決めていた。
拙者のCDに赤いリンゴをのせて、
それをリボンで結んで手渡した。
なんとも不恰好な贈り物だが、それしか思いつかなかった。
山中さんは、満面の笑みでリンゴを受けて下さった。
ずっと両の掌に包み込んで、お話をしてくださった。
そして、リンゴのお礼にと、新刊(当時)を贈呈して頂いた。

私の名前も書いて下さったが、ここでは消しておく。
日付を見ると、1996年5月29日となっている。
「八月か来るたびに悲しくなるのです。 山中恒」
のどもと過ぎれば掌を返す政治家や大衆の日本人気質は、
戦後70年たった今でも、なにも変わっていないと感じる。
「なかったことにする」ことばかりに力を注ぐ民族性。
日本人であることに誇りが持ちにくいのは、
愛国心を押し付ける者たちの腹の裏が見え隠れするからだ。
「一億総活躍」などと調子のいいことを言っているが、
この言葉を聴いて、
敗戦間近に旧帝国陸軍の狂った参謀たちが吼えていた、
「一億総玉砕」を思い浮べるのは私だけだろうか。
またの再会を約束してお別れした。
そしてタイミングよく、私が音楽を手掛けた作品が、
先生のご自宅の近所で公演することになり、
約束どおりの再会も果たした。
あれ以来、すっかりご無沙汰している。
先生、奥様の典子さん、お元気でしょうか。
わたしはあいも変わらず、
なんだかへんてこな音楽作りをしています。


