ラプラスの科学的決定論に対する、
シュレーディンガー波動関数。

その方程式が無ければ、
ボーアは救われなかったのだろうか。

猫は死んでいるか、死んでいないのかという理論の破綻は、
ミクロとマクロを繋げる糸になっている。

その糸と弦理論の糸とは意味は違うが、
太陽と惑星が、陽子と電子の構造に想いを描く、
人間の知恵が美しい。

宇宙の開闢(ビッグバンのその瞬間)の3時間後のあと、
30万年後にその場の状態の事象に飛び移る。
凡人にはもうなんだか良くわからないが、
何十万年もかけて物質が生成されるんだということだけは、
なんとなくわかった。

手元にありながら全然読まなかったシュレーディンガーの、
いわゆる「猫の矛盾」が書かれた本人の論文を、
今夜は読んでみることにする。

なんにも理解できないだろうけど。

論文(邦訳)が手元にあるだけでも、世界が楽しい!


これはまさに、わたしにとって、
エジプトの歴史を知る手掛かりとなった、
ロゼッタストーンなのだ。

相対論万歳!量子論万歳!
素粒子論万歳!・・・・だ!

量子力学的音楽・・・どんな音楽だろう!

量子論こそデジタルだ!
どれだけ解析率が高くなっても、
ユークリッドの明晰さに対しては曖昧だ。
それが宇宙の実態ならば、
論理的な定数や関数は、不確定性を楽しんでいる子供のゴムまり遊び。
アインシュタインの大ミスの宇宙定数も、
あながちミスではなかったかもね。

デジタル音楽のサンプリング=標本抽出精度も、
素粒子物理学とおんなじだよね。

デジタルの雨にうたれて!