昨日の記事で「師匠」とのことを書いた。
流れとしては、私にも何人も弟子がいた。
「いた」という過去形なのは、
巣立っていったか、やめていったからだ。
私のような仕事で「食っていく」のは難しい。
なのに覚えなければならない技術もまた、難しい。
ひとり立ちするまでには、生活の困難さが伴う。
だから続かない。
やめていった弟子のひとりの中に、
遠く離れた場所で、長い間、病と闘っている者がいる。
その病との闘いは今も進行形で、
おそらくこの先も完治する望みは薄い。
その弟子から、病の具合が落ち着いている時期だけ、
近況報告のメールが送られてくる。
メールがあるかないかが、体調のバロメーターともいえる。
だから、メールが送られてくると、ホッとする。
生きていてくれた・・・。
薄情なようだが、
わたしはそのメールに、こまめに返信はしない。
その弟子の病や体調の具合に、私がどうやって向き合うのか、
それはとても大きな問題になる。
専門知識のない私の軽率な「励ましメール」が、
その弟子の治療に、大きな影響を及ぼす危険がある。
わたしのグループにはFacebookのアカウントがある。
わたしは、とある理由で、
私自身はそのFacebookへのコメント書き込みをしない、と宣言した。
過去に私が書き込みしたものも全て削除した。
その後のコメントの書き込みは、
Facebookの開設を勧めてきた、今いる弟子に全責任を押し付けた。
だが、その現弟子は、書き込みを放棄した。
全く更新されない我がグループのFacebook。
SNSの必要性など今でも全く感じないのだが、
ある時、「もしかして・・・」と思い、
誰が書き込んだかわからないような形で、
わたしの音楽情報を書き込んだ。
そして、今日、その病と闘う旧弟子からメールがあった。
「Facebookで音楽が聴けるようになっていて嬉しいです」・・・と。
少しでも何らかの役に立つのなら、
その方向に転換しようと思った。
このブログはわたしの勝手気ままな都合もあって、
自分の素性を明かしていないし、
このブログの存在を知る人も限られている。
だから、このブログの存在を、病の旧弟子にも教えない。
教えれば、離れた場所で闘病し、
寂しく辛い思いをしている毎日の、
小さな気分転換の素材にもなるかもしれない。
でも今はそれをするつもりはない。
だから、私が出来ることは、
声なき声で、音楽で、その旧弟子を応援することだけ。
その子のために、Facebookの活用を再開することにする。
流れとしては、私にも何人も弟子がいた。
「いた」という過去形なのは、
巣立っていったか、やめていったからだ。
私のような仕事で「食っていく」のは難しい。
なのに覚えなければならない技術もまた、難しい。
ひとり立ちするまでには、生活の困難さが伴う。
だから続かない。
やめていった弟子のひとりの中に、
遠く離れた場所で、長い間、病と闘っている者がいる。
その病との闘いは今も進行形で、
おそらくこの先も完治する望みは薄い。
その弟子から、病の具合が落ち着いている時期だけ、
近況報告のメールが送られてくる。
メールがあるかないかが、体調のバロメーターともいえる。
だから、メールが送られてくると、ホッとする。
生きていてくれた・・・。
薄情なようだが、
わたしはそのメールに、こまめに返信はしない。
その弟子の病や体調の具合に、私がどうやって向き合うのか、
それはとても大きな問題になる。
専門知識のない私の軽率な「励ましメール」が、
その弟子の治療に、大きな影響を及ぼす危険がある。
わたしのグループにはFacebookのアカウントがある。
わたしは、とある理由で、
私自身はそのFacebookへのコメント書き込みをしない、と宣言した。
過去に私が書き込みしたものも全て削除した。
その後のコメントの書き込みは、
Facebookの開設を勧めてきた、今いる弟子に全責任を押し付けた。
だが、その現弟子は、書き込みを放棄した。
全く更新されない我がグループのFacebook。
SNSの必要性など今でも全く感じないのだが、
ある時、「もしかして・・・」と思い、
誰が書き込んだかわからないような形で、
わたしの音楽情報を書き込んだ。
そして、今日、その病と闘う旧弟子からメールがあった。
「Facebookで音楽が聴けるようになっていて嬉しいです」・・・と。
少しでも何らかの役に立つのなら、
その方向に転換しようと思った。
このブログはわたしの勝手気ままな都合もあって、
自分の素性を明かしていないし、
このブログの存在を知る人も限られている。
だから、このブログの存在を、病の旧弟子にも教えない。
教えれば、離れた場所で闘病し、
寂しく辛い思いをしている毎日の、
小さな気分転換の素材にもなるかもしれない。
でも今はそれをするつもりはない。
だから、私が出来ることは、
声なき声で、音楽で、その旧弟子を応援することだけ。
その子のために、Facebookの活用を再開することにする。