なぜ笑う。

人の悩みをなぜ笑う。

痛みを、傷みを、悼みを、体感していないからやん。



どんなに結果的に些細なことで済むようなことであっても、人の悩みを笑って話を聞いたことはない。いつも我が身に置いて話を聞いてきた。それだけは、硬く自分に守ってきたことや台風

人の悩みを自分に置き換えて話を聞き、自分の身に例えて考えることは難しいことやもしれないが、私は真摯に対応してきたつもり。たとえ、的確な答えを提示できなくてもひらめき電球

だから、どんな人の悩みを聞かされても、最低限、笑うことだけはしなかった。それは自負でもある。私も弱さの塊やからしょぼん

なのに…。





負けないパンチ!

その身になれば笑えないはずや。

私は、だから、これからもっと、人生の痛みを、傷みを、悼みを、たくさん知って、自分に投影していくんやチョキ

笑わば笑え。

笑うもんには、いずれ、己に降りかかることなんや。

でもって、江戸中期から後期あたりの「柳多留(やなぎだる)」は、文語体の古めかしさがなく、口語体で今の現代語とまったくかわらなんところが、面白い。


な~んや、会話言葉は江戸時代も今もおんなじなんや、ってことがわかる。江戸の庶民も、今、私たちがしゃべってる話言葉と、まったくおんなじ言葉で会話してたんや、ってところが面白い。なんか、明治維新でなにもかも現代的に変わったみたいに錯覚しちゃうが、ありゃテレビの時代劇が悪い。江戸時代の庶民は、もちっと、今と変わらない言葉使いしてたんやなぁ…むしろ武士言葉が特殊なんだな。花魁言葉も艶々だわね。

だからどうと言うわけやないが、


誹風柳多留の有名川柳から一句。


是小判 たった一晩 居てくれろ


給料もらっても、右から左の生活は、今も二百年まえも変わらんのやねぇ。

おい、一万円札さんよ、一晩くらい私の財布に収まってておくれでないかい?なんでそなたはそんなに急いで旅立つん?


ああ、おもしろや、なさけなや いつの世の人間どもめむかっパンチ!爆弾