宗教の規制はいけないことなのか | 安濃爾鱒のノート

安濃爾鱒のノート

これは web log ではありません。
なんというか、私の「ノート」です。

 安倍元首相暗殺事件から始まった統一教会への批判は、創価学会批判へと広がりつつあるようだ。

 で、それを
  「危険な兆候だ」
  「信教の自由もない国になる」
と危惧している人がいる様だ。

 

 "普通の" 日本人の神社仏閣好きな人向きの様な 嗜好性飲料の様な 緩い精神安定剤の様な 気休めを与える宗教は取り締まってはいけないが、全人格・全人生が支配される宗教依存症を作る宗教は、他人の信仰の自由(信じない権利)を侵害しているから、取り締まったっていいのではないだろうか。

 

   日本人は 南都焼討(治承4年、1181年) の平重衡と 比叡山焼討の足利義教(永享7年、1435年)・織田信長(元亀2年、1571年)に感謝すべきだと思う。御蔭で他国と比べ日本では宗教依存症の人が非常に少なくて済んでいる。が、残念ながら 最近また増えてきているようだ。今では ああいうことはもう無理、とても出来ないが、なにか強力な手を打たなければ、宗教依存症が増えてしまう。

 

 まずは とりあえず、布教の為にひとの家に勝手に押しかけてくるのと、強制的 もしくは 騙して宗教施設に連れ込む行為は、ひとの信教の自由(信じない権利)を侵害する行為として禁止し、それを繰り返す団体には解散命令を出すべきである。

 

 宗教で回りに迷惑をかけている連中の信教の自由は尊重され、迷惑を掛けられている側の信教の自由(信仰しない権利)は侵害されたままという理不尽。「人権擁護活動家」(自称)の 死刑廃止論者派の"理論"の矛盾と似ている。

 

 我々日本人は、みんなが宗教に支配されず宗教を正しく利用する社会を目指すべきである。