判官贔屓 | 安濃爾鱒のノート

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 歴史は勝者が創る。

 故に、勝者は美化され、敗者は 酷い人物として描かれる。例えば、石田三成は、小賢しいだけの小者 として描かれることが多い。豊臣秀頼も、近年まで 「バカ息子」の代表として扱われていたものだった。

 但し、一部、例外もある。

 例えば、源義経や楠木正成。この両名は、歴史上の事実としては最後には勝者の側ではなく、悲運の死を遂げてしまった人たちであるが、日本史上トップクラスの人気者ヒーローである。

 源義経の人気については、「判官贔屓」(ほうがんびいき/はんがんびいき)と云われる。

 この「判官贔屓」について。

 源義経と楠木正成は、京の都の治安維持と民政を所管する「検非違使」(けびいし、けんびいし)に任ぜられていたことがあった。彼らは、その役目を真面目に勤め、京の街の治安改善に大変貢献した。それ故、京の庶民たちは彼らに感謝した。彼らは庶民に人気があった。やがて彼らが敗者となり、非業の死を遂げても 彼らの人気は落ちることなかった。世間では、その人気を、検非違使の長の官位である「判官」を用いて、「判官贔屓」と表現した。その後、「判官」の意味が忘れられる。一方、悲運の人として知られていたので、「判官贔屓」が、「悲運の人を贔屓にすること」という意味に化けた、ということではないのだろうか?