欧州に於ける「難民」(refugee / réfugié) の語源から今の奇怪な対応の原因を探る | 安濃爾鱒のノート

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これは web log ではありません。
なんというか、私の「ノート」です。

 《 手元の仏和辞典で「難民」を示す語とその辺りの言葉を見てみて発見したこと思ったことなど 》

 仏和辞典で、"refuge" とかが書いてあるページの辺りを見ると、

  refuge : 名詞避難、保護;避難所、待避所
      ( 英語の "refuge" に相当する )
  réfugié : 名詞避難者、亡命者
      ( 英語の "refugee" に相当する )
  réfugier : 動詞避難する、亡命する

などの言葉がみつかり、そしてその近くに

  refuser : 動詞拒否する
  refus  : 名詞拒否

という言葉もあることが判る。

  ここで、"réfugié" に戻って、そのところをよく読むと、「避難者」「亡命者」の他に、もう一つの意味があることが判る。つまり、"réfugié" には

  「ナントの勅令取り消しにより亡命した新教徒

という意味もあるようだ。いや、というか、"réfugié" というのは、元々は、そっちの意味で使われる為に出来た言葉で、後に これを、一般に「避難者」「亡命者」の意味で使うようになったようだ。
 そこで、この "réfugié" や「ナントの勅令」などの言葉でググって見つかったページを色々読んでみて、判って来たことを整理し、ざっと書くと、こんな感じ:

  16世紀(中世末期)、ヨーロッパでは、Martin Luther (マルティン・ルター) や Huldrych Zwingli (フルドリッヒ・ツヴィングリ) や Jean Calvin (ジャン・カルヴァン) らが、カトリック教団のやっていることに異議を唱え始める。いわゆる
     「宗教改革
      ("Réforme protestante" / 【"Protestant Reformation")
である。
  やがて、「新教」「プロテスタント」が生まれる。当時のフランスでは、まずは、"Huguenot"(「ユグノー」)が生まれ、フランスでの新教といえば、もう殆どこの"Huguenot" のことである。
  そして、カトリックとプロテスタントの間で過酷な宗教上の対立が始まった。
  しかしフランスでは、1589年、Henri IV (アンリー4世)が即位し、1598年4月13日、"Édit de Nantes(「ナントの勅令」)により、或る程度の新教の信仰が認められるようになった。これにより、宗教対立は収まった、かに見えた。


 ところが、1643年、強権政治を好む Louis XIV (ルイ14世) が即位すると、絶対王権を確立し、宗教的寛容さも失われてしまう。1685年、Louis XIV は、"Édit de Fontainebleau(「フォンテンブローの勅令」) を発し、「ナントの勅令」を取り消し、新教徒(ユグノー教徒)たちに対し、カトリックへの回帰を命じた。
 このとき、カトリックへの改宗命令に対し、拒否する者たちも現れた。
  この「拒否」を "refus" と言う。 ( 名詞:"refus"、動詞:"refuser")
  この改宗拒否者たちの多く、最終的には約20~25万人の人々が国外へ逃れた。この、「改宗拒否から国外に亡命した新教徒たち」を  "réfugié(:拒否を意味する "refus"、"refuser" からの造語) と呼んだのである。
 Oxford English Dictionary によると、英語の "refugee" は、[ 英国に逃れて来たこの新教徒(ユグノー教徒)たちを表す言葉 ] として使われたのが始まり、だそうだ。


 今、ヨーロッパに、難民と自称する連中が大挙押し寄せてきていて、各地で大問題を起こしているが、私は、《 そんなこと、難民を大量に受け入れればそういうことになることは、最初から判っていただろうに。なんでそんなバカなことをしたのだろうか? 》と思っていたのだが、ヨーロッパ人の「難民」に対する、「異常な寛容さ」(と 私には見えるもの) の背景には、こういう  "réfugié" / 【"refugee" の歴史的経緯から考えなければならないのかもしれない。

 ヨーロッパ人たちにとって、「難民」(:refugee /réfugié) とは、最初は《 カソリックへの強制改宗を拒否して国外に亡命した新教徒たち 》であり、次に 第2次世界大戦後の 《 帰還者たち 》、例えば [ ズデーデン地方からドイツに帰ってきた人たち ] 、日本で言えば、[ 終戦後の大陸からの引揚者たち ] のような人たちであり、その次が、《 東西冷戦時代に、東欧から西欧へ逃げてきた人たち 》、東アジアで言えば「脱北者」のような人たちであり、そして、今の (中東や北アフリカからの イスラム教徒の)「難民たち」(経済難民)と、段階を経て少しずつ変遷してきており、彼らへの 《 シンパシー度 / インベーダー感 》は、段々と変化して来たのだということを、考慮しなければならないのかもしれない。

 

ーーーーー杉浦 憲二 (Sugíura Kenji) ーー sui generis ーーーーー