馬脚を現した SEALDs | 安濃爾鱒のノート

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これは web log ではありません。
なんというか、私の「ノート」です。

 

 これを見て怒った人がいます。
 これを見て怒った人というのは、自分のことを書かれたと思ったひとでしょう。本当のことを書かれたからこそ腹が立ったのでしょう。日本語で書かれたメッセージですから、怒ったのは日本語が判るひとで、あの内容を自分のことと思ったということから、日本で偽装難民をして日本に寄生しているひとだということです。
 そして、この絵に、あの、SEALDs 奥田とかが、激しく反応しています。
 どうやら、この絵をネット上から抹殺しようと企んで、いろいろ動いているようです。
 「センソーハンターイ(戦争反対)」とか「ケンポー(憲法)を守れ」とかいう看板で始めた SEALDs が馬脚を現した、ということでしょう。
 SEALDs 奥田とシバキ隊の連中が仲良くコンパしている写真がネット上に晒されているし、彼らの為の カンパ用口座が、全く「西早稲田2-3-18」系のものだし、つまり、かれらは、そっち系だったのです。
 彼らは、昔は、「強制連行されてきた人とその子孫」という嘘で被害者づらして日本に集ってきたけど、最近になってその嘘が通用しなくなってきたので、これからは「難民」という看板でいこうと考えていた矢先に、こういう「難民に偽装したインベーダー」を告発するものを見つけて逆上してしまい、今までの看板の「センソーハンターイ」とか「ケンポーを守れ」とは大きく違っているのに、酷く反応してしまったのでしょう。

 


左から しばき隊 リンダこと李信恵、同 伊藤、同 木野、SEALDs 奥田

 

シバキ隊と奥田

 

 

チーム「差別の当たり屋」

また、SEALDs のカンパの募金口座は以下のような代物:

みんなのQ

 


 また、SEALDs を離れて、上の絵に関する一般論でいえば、この絵の作者の他の作品として、

 

バカ母平和運動

 

というようなものもあって、そこから勝手に想像するに、この人は、おそらく、私と一緒で、《「平和」とか「人権」とかいう言葉を掲げて短絡思考で騒いでおけば、なにか高尚なことをしているかのように錯覚できる、そういう集団公開マスターベーションに耽っている連中 》が嫌いなのではないでしょうか。

 例えば、本気で平和を希求するのなら、昔から Si vis pacem, para bellum と言われているように、建国以来一貫してその近隣国への帝国主義的侵略行為を続けている国が日本の近くにありますが、その国は、孫子の兵法の本場なのだから、守りを怠っていて簡単に奪えることろは必ず奪い 逆に ちゃんと防衛を怠りなくやっている国には攻め込んでこない、という実績があるのだから、そういう事実を踏まえての政策を採ることこそが本当の《平和を希求しての行動》なのであり、妄想平和主義では平和は維持できないのです。

 また、ただただ「人権」を守る、とかいって、死刑は残酷だから廃止、なんて無責任なことをしていたら、凶悪犯罪者以外の普通の市民の人権が守れないから、普通の市民を守る為の地道な努力が必要で、その中には刑罰が必要な場面もあるのです。極刑が必要な場合もあるのです。

 また、「『人権』はダイジ」というお題目を唱えて、「難民」などの被害者・弱者らしき名札を付けて居れば「神聖ニシテ犯スヘカラズ」という扱いをしなければならないということになれば、そういう便利な名札を悪用する奴が一杯出てきて、一般人も、本物の被害者・弱者も困ることになるから、そういう単純単細胞な扱いをしてはダメなのです。自分たちの妄想世界への逃避の集団公開マスターベーションに耽っていては、平和も人権も守れないのです。責任をもって平和や人権を守るというのは、そういう無責任な行為ではないのです。

 それから、偽装難民問題を告発する風刺漫画を作成するのに、何故、この少女の写真がベースとして使われたのか、について考えてみます。

 漫画には 独特の記号 があります。「お約束」という方が判り易いでしょうか。
 《 ひげヅラに唐草模様の風呂敷 》は、[ 泥棒 ] を示す記号、 《 白衣を着たボサボサ髪の中年か初老 》 は、[ 科学者 ] を示す記号、 昔の欧米の漫画では、《 出っ歯で眼鏡で首からカメラ 》が [ 日本人 ] を示す記号でした。
 そして、偽善者のイカサマ人権屋が、偽装難民批判を跳ね返す盾として使える!と目論んで、 カルデロンのりこ を担ぎ上げたとき、《 少女の難民(自称) 》は、[ 偽装難民 ] を示す記号となったのです。