権力者のどデカイ墓が自慢になるのか? | 安濃爾鱒のノート

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なんというか、私の「ノート」です。

 大阪府の堺市には、仁徳天皇陵など多くの天皇陵があり、そういう地域一帯:「百舌鳥古市古墳群」について、世界遺産登録を目指している人たちがいるそうなのだが、私は、それについて、あまり嬉しく思わない。
 といっても、これに反対している人たちの中の最大グループと思われる、
  天皇陵を「世界遺産」だなんて、失礼な
  祖先の墓が観光客により静穏を乱されてうれしい子孫はいません
という意見については、それはそれで正論だと思うのだけど、私の最大の関心事はそこではない。

仁徳天皇陵

 

 
時の権力者がどでかい墓を作ったことは、自慢にならない、と、私は思っているのだ。

 日本人の多くは、昭和の陛下も今上陛下も、自分の為の天皇陵は、小さくして欲しいと仰っておられる事は知っているだろうが、(竹田恒泰氏によると、江戸時代から既に歴代天皇がそう仰っておられるという)、他国の人は、どうだろう?自国の基準で考えて、多分、そんな風には考えてくれないだろう。
 また、日本人なら、古墳というのは、古代の話だと知っているが、他国の人はどうだろう?大昔、出来たころの見た目はともかく、現在の古墳は、見た目、筑豊のボタ山の低い奴や札幌のモエレ沼公園のようなものなのだから、とても古代のものには見えないし、今の "emperor" と同じ家系の人の墓、今の "emperor" の先祖の墓と言われれば、近代かせいぜい中世のこと思うのではないのだろうか?
 そう、天皇は、英:"emperor" とか 仏:"empereur" とか 西:"emperador" とか 独:"Kaiser" とか 露:"император" とか、その系統の言葉で呼ばれているのだ。

 フランスの ルイ王朝(ブルボン朝) の "empereur" 達は 6代(+2代)、英国の現女王は ウィンザー朝の第4代女王で、帝政ドイツの Kaiser は3代、帝政ロシアの император は14代、ソロモン朝エチオピア皇帝は29代、タイは 現国王のチャクリー王朝が9代 最長のアユタヤ王朝が36代、それ以外の "king" や "emperor" 達も、どれも、日本の皇室のように長く続いたものはない。
 日本でも、足利将軍家も徳川将軍家も15代で、平家は2代、源氏は3代、織田は1代豊臣は2代だから、"king" なんて、せいぜいがそんな程度にしか続かないものなのだろう。
 ところが、日本の皇室は、こんなものではない。今上陛下が 第125代で、これは、世界では極めて特殊な話なのだから、他国の人に理解できる話ではない。だから、今の "emperor" の先祖の墓だと言えば、現代か近世か古くてせいぜいが中世の話と思われてしまう、と考えるべきである。そんな時代の "emperor" の巨大な墓だなんて、酷く誤解されてしまうのではないか。

(これを書いた時は 平成27年だったので「今上陛下が 第125代」と書きました。令和5年の現在では「今上陛下が 第126代」となります)
 北朝鮮の現在の王政である金王朝は 金日成→金正日→金正恩と来て現在3代目で、この初代皇帝金日成の巨大像が平壌に建っているが、これを見て、日本人は、良い感想を持つだろうか?これを例に利用して いさかか誇張して言えば、他国の人が日本の巨大古墳を見たとき、日本人が平壌の金日成の巨大像を見たときに感じるものと同じ感想をもつことはないのだろうか?

金王朝

 



 岡崎久彦氏の本の中に、鎌倉に源頼朝の墓、平雅子(北条雅子)の墓、と伝えられているものがあるが、非常に小さい、ということに感激した、という話が載っていた。

 日本が世界に誇るとしたら、そっちだろう、と私は思うのである。
 とはいっても、鎌倉の源頼朝の墓、平雅子(北条雅子)の墓を世界遺産に登録すべき、と言っているのではない。これも、上に挙げた、「百舌鳥古市古墳群」の天皇陵を世界遺産とするべきではないと主張しているメジャーなグループの言い分と同じ理由で、鎌倉の源頼朝の墓、平雅子(北条雅子)の墓も世界遺産とするべきではないと思う。
 日本のことで、世界に紹介し、世界中に知ってもらいたいこととは何かというと、ドでかい墓を作った権力者が居たことではなく、自分らの墓なんか、小さくてよいとした最高権力者が居たことの方だろう、ということである。

 徳川家康は、源頼朝を尊敬し、真似しようとしていた、という話があるが、日光東照宮はドでかくてキンキラキンである。そんな日光東照宮が世界遺産となっている。徳川家康や徳川幕府には、後世の日本人は、感謝しなければならないところが沢山あるとは思うのだが、ドでかくてキンキラキンの日光東照宮をみると、私は興ざめしてしまう。政治学者や歴史学者が源頼朝を高く評価し、義経を低くみるのは、世間の一般大衆の義経贔屓をみて、それをバカにしておけば、市井の一般大衆はバカで愚かで俺たち学者様は賢くて偉い ということになるとでも思っているんじゃないか、と、ひねくれ者の私は考えてきたのだが、鎌倉の源頼朝の墓、平雅子(北条雅子)の墓といわれているものに実際に何度かお参りして、私は考えを改めるようになった。

 まぁ、「なんか判らないけど世界遺産だそうだから行っとけ」型観光客は、東照宮にでも行けばいい。判る人だけが、鎌倉に行けばいい、というふうに考えればいいのだけど。
 

世界史年表