■何故、敬介が必要なのか?
戦争って、基本? 殺し合い。 殺されてるけど、殺してもいる。
国家という化け物が出てくると、戦争はもっともらしい理由をつけられて、歴史を飾ってしまう。
それを現代の普通の人間の感覚に引き戻そうとしたんだと思う。
大切な人を殺された被害者代表は、敬介の姉で、だから、非常に厳しーっ!容赦ない。
戦争で実際に人を殺す兵士にとって、相手は面識も無く、基本、理由の無い、訳のわからない殺人…
特攻隊員は、愛する人を守るために、何をしにいったのか?
人殺しだ。殺されるアメリカ兵にも家族はある。恋人がいる。だが、舞台では それは一切出て来ない。
当時の日本の状況だけを描けば、そうなるだろうけれど…。
で、殺している事を、この舞台では、ほぼ全面的に敬介が独りで引き受けている。
岡田敬介は、人を殺して自分が生き残っている、まさに カイン 。人類そのもの。
姉真夕に、首を絞められ、両親を殺しておきながら、自分が殺されそうになると逃げ出す敬介は、
心の鎧を剥ぎ取られ、まさに裸だった。
私は思わず目をを背けた。 その時、私の中に問いかける声がした。
『私は、誰も殺していないと言い切れるのか?』
岡田敬介を 異常者と見ていた私の脳裏に あの言葉が浮かぶ。
『汝等の内、罪無き者、石持て この女を打て』
女が罪を犯した理由は、問題ではない…。
一般的には そう納得してしまった。
■それでもやはり、何故 敬介が両親を殺したかが 引っかかっている…
大人が大人を殺すのと、子供が大人、特に親を殺すのでは、意味合いに違いがあるのではないか。
人は、動物に過ぎない。自然の一部に過ぎない。
自身の独立を犯す者とは、闘うのは本能だ。
己が何の罪も負うてはいないと 言うのも傲慢なら、自分たちが 自然の一部であることを 無視しようとするのも
又、傲慢では無いだろうか?
私は、エクウスを 想起したし、 米国サーストン高校乱射事件のキップ・キンケル を思い出してしまった。
周囲の持つ歪が、 弱い所から噴出した感が 否めない。
キップ・キンケルは、自殺してしまう。
岡田敬介が 痛みを感じない部類の人間であれば、彼は悩みもしないだろう。
だが、彼は悩んでいる。
親殺しの青年敬介は、何故、殺してしまったのか判らない と 姉に話す。
キップ・キンケルも高校で銃を乱射する前に、両親を殺害している。
そして、その直後の告白に、やはり同じ事を言っている。
NHKの報道番組を鵜呑みには出来ないけど、両親が思春期の自我が芽生え始めた彼を、コントロールしようとしたのは、ある程度事実だろう。
両親が意識したとしないとに関わらず、犯罪を誘発する心理的虐待が有った事になる。
さて、であれば、 殺人は罪だし、思春期真っ只中だった渦中の彼には自覚は無く、 何故殺してしまったのか判らなくとも、 理由は有った事になる。
これは、大切なことだ。
もし、本当に 理由無く殺してしまう青年だったら、 ヒロシマを見て 別の反応をしてしまうかも知れない。
即ち、 『何だ、僕なんて二人しか殺してないのに、何でこんなに言われるの?
二十万人も殺したって、誰にも 罰される事が無いなら、
僕のした事なんて、なんでもないさ、顔にたかった蚊を払っただけだよ。』
言葉は悪いが、いわゆる サイコパス だ。
だから、 自分のしでかした事に 戸惑い、恐れている 青年は 両親殺害に何らかの意味がなければ ならないのではないか?
私は、この視点がとても大切に思えるのだ。
何故なら、戦時中の日本人は 彼にそっくりだからだ。
自分の頭で考えることも、自分の心で感じることさえ失い、無理やりに 自分の人生を奪われている。
弟を失う鈴木先生は、自らの悲しみさえ、理解できていない。
名誉だと言いながら、何故、胸は張り裂けそうになるのだ?
何故、涙は堰を切って、流れ出して、止めようも無いのか?
彼女にはわからない。自分が何を感じているのか。
『ああ、弟よ、君を泣く、君、死にたもう事なかれ』 それが真心というものだ。
そこで 初めて 夏彦の言葉とつながってくる。
個人として戦争に対する罪とは何か?
自分の頭で考え、自分の心で感じようとしなかった事…
人の考えに右へ倣えして、従った事…
敬介は、悩むかもしれない、
でも、それは自分の頭で考えているからであり、自分の心で感じているからだ。
それは自分の人生を自分で生きると言うことに他ならない。
日本は単に物資の不足だけで負けたのではないと思う。
日本国民が 情報を制限され 拷問や投獄で思想統制され
自分の心で感じ、自分の頭で考えなくなって 負けたのだ。
この二十数年後、アジアの小国は世界一の軍事大国を、戦争で負かしている。
ベトナム戦争だ。
投下された爆弾は、第二次大戦で使われた爆弾よりも多い。
だが、ベトナムはアメリカに勝っている。
ベトナム戦争で、自分の頭で考えなかったのは、自分の心で感じなかったのは、アメリカ人の方だった。
自分たちにとって、何の意味も無い人殺しを強要され、アメリカ人は心に深い傷を負った。
自分の心で感じ、自分の頭で考えねばならないのだ。
自分の人生は自分で生きねばならないのだ。
誰かを犠牲にしている重荷に耐えながら…。
■友文は、爆弾にばらばらにされた母親を見て気がふれる。
なら、自分で母親を切り刻んだ敬介は 何故、正気を失わないのだろう?
もし、私が敬介で 自分でも訳もわからず、両親を殺し、少年法で死刑を免れ、繰り返される精神鑑定にもかかわらず、医療少年院を追い出される?事になったら、どんな演技をしてでも、場合によったら職員を傷付けてでも、医療少年院に留まるか、拘束されようとするだろう。
また、何の前触れも無く 誰を殺してしまうかも知れないのだから。
反省や後悔の出来ない人間でも、今度ヤッタらやばいのは分かって居るだろう。
まして、懸命に姉に許しを請う青年なら、姉のそばには近寄れまい。
姉が近寄ってきたら
『そばへ来るな! 俺は何をするかわからないんだぞ。』
と、脅して追っ払うだろう。 姉が好きなら尚更だ。
逆に姉として、敬介のような弟が両親を殺害したら、世間が何を言おうが、自分の心を占めるのは 何故? だ。
それ以外に何があるだろう。
たとえば秋葉原事件のような理不尽な犯罪や天変地異にさへ、人は理由を求める。
メカニズムではなく、自分が遭遇した訳を知りたがる。
ワイドショーの好奇心とは違うと、私は思う。
理不尽な災厄であっても、それを受け止めようとする時、人は理由を求めるのではないだろうか。
では、何故受け止めるのか。
それは、乗り越えて生きようとするからだ。
ところが、彼女は、弟に 理由を尋ねない。
だから、最も敬介の身近に居た彼女の視点が無いから、観客には、疑問が残るだけだ。
何故、ここの説明が何も出てこないのだろう?
人は、何時、ナイフを振りかぶってくるかもしれない人間に、共感しない。 出来ない。
それでも岡田敬介に付いて行けたのは、城戸裕次が敬介を、おびえ、戸惑う普通の人間として演じるからだ。
どんな両親だったのかも、その時敬介が置かれていた心理心情も何もわからない。
でも、目の前の青年を見ていると 恐さよりも疑問が浮かぶ。
疑問とは 大きな力だ。 人が知りたいと思う欲望は、人の原罪そのものですらある。
何故、こいつが あんなことをしでかしたのか?
一体、こいつが 抱えているのは 何だったのか?
何で、謝ってばかりいる?
何で、こんなに萎縮してるんだ?
強い疑問は 恐怖に勝る原動力だ。
だから 最後に この青年と寄り添ってくれるのが 既に、この世の者ではない祖母だけであり、
この青年が 古びたノートだけを抱きしめて、たった独りで生きてゆくのは、あまりにも悲しい、救いも無い。
夏彦の言葉を理解できずに、夏彦の言葉通りになって、すべてを失った祖母だけが、戦後を 夏彦の言葉通りに 自分の心で感じ、自分の頭で考えて生きたから、ただ独り、敬介を理解し、受け入れる事が出来たと言う事か。
そうすると、 敬介を異常者として片付けてしまおうとする人達は、自分の心で感じて、自分の頭で考えていないことになる。
何のことは無い、戦時中と同じだ。
では、また、再びこの国は戦争へ向かおうとしていると 言うのだろうか?