相対する物事があれば、当然の事ながら二者択一になる。
どちらかに比重を置けば、当然もう一方は棚あげされる。

物事はシーソーのようにはいかない。
あっちを立てて、こっちを立てて…なんてやってみた所で
結局は中途半端に終わるだけだ。

昔、人に相談した気でいる人の中でタチが悪いのは
相談と思って話してるかも知れんが、実は既に固まった考えがあって
その背中を押して欲しいだけだった時だ!!
という事を書いた事があった。

その時は、ツレの知り合い(?)の話だった。
このケースはどうにもならないのだ。
だって、その当人はその事に気付いていないのだから。

あげく、こちらが(その人にとって)予想外のアドバイスをしようものなら
『え?何でそんな事言うん?』みたいな反応が来る。
そして応酬(笑)
それも、超不毛な(爆)

結局、そいつの中では決まってるんですよ。
まあ、決めつけてるという場合もあるけど。
決まっているのに動き出せないから、動かして下さい、みたいな。

でも、それを『相談』だと思い込んでる。
そりゃタチ悪いじゃないですか(笑)



話がだいぶ逸れてしまった。

そう、相対する物事は並び立たないのだ。
理念や観念の立場から、イデオロギー的な思想対立は頻発するものだ。
ただ、大概の(あほうどもの)思想は、人の話を鵜呑みにしたり
右に倣えのように、あるべきでない先入観に支配されているケースばかりだ。

マルクス主義においては、記憶違いなら申し訳ないが
上下関係において、利害を最優先とした自己正当化が起こると定義している。
要するに、お互いの為と言いつつ、実は自己満足や利己主義に落ち着くという訳。

最初に書いた偏りの話だが、そもそも偏りは誰にもある事だ。
特に会社や学校はもちろんだし、今や一般の対人関係にすら階級や優劣なくして成り立たない世の中。
ともすれば、各々のイデオロギーの優劣=似た思想の集合体の優劣と言える。

上に立つものは、自らの利益を追求して主張を繰り返し
時として結託をして、その利益保持の確率を上げようとする。

はたまた下にいる人間も、上を巧く泳がせることで
自らの(その場での)生存率を上げようとする。
もっとも、その支配体制が、中身のないイデオロギーによって生み出されれば
その結果、重大かつ深刻な問題が起きる訳だが…。

どの道、その中間にいる人間がどちらに振り切れるかで
力のバランスはあっさり崩れるし、体制自体も崩壊する。

イコール、中間の人間が『組織を乱す者』と判断されたりする。
上に振り切れれば、組織の土台を崩すものとして扱われ
下なら、扱いにくい異端者として弾かれてしまう。
まったく訳がわからない。

結局の所、中間に位置する者に必要なのは
自らが天秤の軸となり、両端の秤を一切動かさない努力なんだろう。

あー、人として終わってるヤツは逝って欲しいぜ。