久しぶりに都内で白熱したミーティングを終えた帰り道…。
夕暮れは迫っていたが、まだ明るかったので、客先から2kmくらいの場所にある寺に立ち寄った。
場所は南麻布。
フランス大使館にほど近い、高速道路下の信号機には、その寺の名「光林寺」の文字が掲げられている。
ベンツが止まった駐車場を横切って山門に進む。
一歩中に入ると、さっきまでの車の騒音が急に遠ざり、代わりに小鳥のさえずりが響いてきた。
何だか鎌倉か京都にでも来たような錯覚を覚える。
この奥に墓地が広がっている。
江戸時代に建てられた古くて立派な墓標が、いくつも並んでいた。
しかし、なかなかお目立ての墓が見つからない。
その墓について、一切の表示や説明もない。
仕方なく、墓の中を縫うように歩き回る。
しかして、墓はあった。
HENRY.C.J.HEUSKEN…ヘンリー・ヒュースケン
1856年、アメリカの初総領事、タウンゼント・ハリスの通訳として、下田にやってきたヒュースケンの墓だ。
BORN AT AMSTERDAM
January 20,1832
DIED AT YEDO
January 16,1861
ヒュースケンは、アメリカ人ではなく、オランダ人だ。
当時、日本で外国語といえばオランダ語で、ハリスの話す英語は、ヒュースケンがオランダ語に訳して、日本側の通師に伝えた。
つまりハリスと幕府の役人との間には二人の通訳がいないと話が通じなかったわけだ。
横浜が開港し、下田から麻布に領事館が移った後、1861年1月15日…
ヒュースケンは麻布・中の橋で攘夷派によって襲われ、翌日死亡した。
29歳の誕生日を迎える4日前のことだった。
彼の故郷、アムステルダムには殺害された彼の亡骸の写真が残っているらしい。
彼には日本人の妻がいた。
もちろん正式な妻ではないが、侍女つるは、正式に幕府の記録にも残っている。
さらに…この、つるが生んだヒュースケンの子と一緒に写った写真もアムステルダムで発見された、とか。
真偽のほどは定かではないし、その後、つるとこの子(男の子らしい)がどうしたのかはわからないが、確かにこの写真は前出のつると同じ女性に見える。
少なくとも「唐人お吉」の写真より、信憑性はありそうだ。
学校で教えない歴史は何て奥深くて面白いんだろう…!
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