伊豆の話じゃなく、地元・横浜のうちの近所の話…。
タイヤ交換に、いつもの店に行ったところ、タイミング悪く40分ほど待つことになった。
場所は環状2号線、ヤマダ電機の裏手あたりなので、とりあえずヤマダ電機でも覗きに行こうと歩き出す。
午後2時くらい。炎天燃えるような暑さ。
…にもかかわらず、ヤマダ電機の近くに行ったことがない神社を見つけたので登ってみた。
古そうな石段。
頂上に大きな神殿の屋根が見えてきた。
神殿の建物自体は新しいが、まるで出雲大社のように立派な建物だ。
能舞台もあり、社務所も開いている。
こんな神社が下永谷にあるなんて知らなかった。
神社のホームページによると、この神明社(しんめいしゃ)の歴史は古く、明治時代には周辺の村の氏神として現在の体を成していたようだが、境内には文政9(1826)年のものと伝えられる不動明王像もある。
そのほか境内に建つ慰霊碑は…
中央は昭和27(1952)年に建立された「日露戦争・大東亜戦争戦歿者の碑」。
ちょっと驚いた向かって左の明治12(1879)年と彫り込まれた「西南戦歿軍人之碑」。
1879年といえば、まだ明治維新の混乱が続き、初代内閣総理大臣に伊藤博文が就任する6年も前の話。
ちなみに、この例にピンと来る人は少ないと思うが…「唐人お吉」こと、斎藤きちもまだ元気で、横浜で習った髪結いを糧に下田へ戻り、安直楼を出す前の頃のこと。
そもそも西南戦…って、あの西郷隆盛が自決した?
あの内乱だよな。
熊本の田原坂公園にも同じ「西南の役戦没者慰霊之碑」があるようだけど、何故、横浜の下永谷に??
その経緯は、ちょっとネットを叩いたくらいでは出てこなかった。
今度、時間のある時に社務所に聞いてみよう。
しかし、ちょっとした待ち時間のはずが…
タオル一本、重みを感じるくらいになるほど、汗かいた。
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