#がん治療
余命1年宣告から10年 ステージ3から寛解を遂げた女性ががんを克服するために下した決断/プレジデント
●1500以上症例分析→劇的寛解者には共通点
●グレードⅢ軟部肉腫、ステ3C卵巣がん例
●治療の不安や死の可能性ではなく自分の生きる理由に目を向ける決断 他
https://president.jp/articles/-/74543
この記事の内容は、やや精神世界的な要素も含んでいるように思いますが、治療をされている方の心持ちとして、前向きなことだと思いましたので取り上げます。
大変に安直な表現だとは思うのですが、体は心を言うことを聞く、ということについて、体験上、その可能性は高いと考えています。
それは、免疫力というような話ではなく、痛みに関することなのですが、自分を客観視して自分に命令を出すというようなメンタリティで痛みから実際に逃れた経験が複数回あるからです。
その点からすると、生きる目的を持つ、ということは、客観的に自分に対して生きなさい、という命令を出すメンタリティを持つことに近く、納得とまではいきませんが可能性を理解することは出来ます。
昨日取り上げました内容では、心配や不安そのものは問題でもなんでもなく、人としての防御反応だとありました。
確かにそれはそうなのですが、現実を見つめれば見つめるほど、心配や不安から脱して生きることそのものへの探求に向かうことがベターなのだな、と思います。
それが、この記事の要旨とも言える、
【抜粋】 治療の不安や死の可能性についてくよくよ考えるのではなく、自分自身の生きる理由に目を向ける決断を下しました。
このことになるでしょう。
病気に目を向けない、ということは、病気を忘れる、ということにもつながります。
記事でも言及されますように、そのためにゲームは有効な手段になり得るように思います。
実は、つい先日まで、iPhoneの懸賞アプリにはまっていました。
ソリティアをしてクリアすればポイントが付与され、そのポイントを使って懸賞に応募出来るというものです。
賞品は大したことないのですが、ひまさえあればソリティアをしているような状態に陥っていました。
ところが、ポイント付与と引き換えに、宣伝の動画を見なければならないのです。
これが思わぬ”ギガ”を要しまして、月の半ばで高速通信が出来なくなってしまい、我に返りました。
我ながら、良い例とは言えませんが、このように没頭することは、がんとか死に支配されないためには有効だ、ということを言いたいわけです。まあ、必要悪とも言えるかも知れませんが。