#ステージ4
ステージ4のがんになった緩和ケア医は何を思うのか 「病院で死ぬということ」の著者山崎章郎さん/47news
●現在も診療を継続
●両肺への転移時に抗がん剤治療を断る
●転移から4年、代替療法主体でがんは縮小したまま
●「死後の世界はあるべき」他
https://nordot.app/1061156083853164731?c=39546741839462401
食事療法であるケトン食を取り入れたステージ4患者向け「がん共存療法」の治験で注目を浴びる、山崎医師のインタビュー記事です。
山崎医師は、両肺転移ありの大腸がんステージ4で、まる4年を標準治療ではなく代替療法で過ごして来られました。
実践されているのは、やはりケトン食などの食事療法のようですが、確か少量の抗がん剤は投与されていたと思います。ですから、あくまでも生活の質は落とさない程度に通常医療を加減して導入しながらの代替療法の実践、と言えるかと思います。
今のところは素晴らしい経過だと思います。
山崎医師がご主張されるのは、完治が見込めない患者さんの「命の時間」をどれだけ大切にできるか、ということです。
それは、ホスピスケアで長年培われたがん患者さんへの思いが詰まったものであり、今はご本人がまさにその思いの正体そのものであられるわけですから、大変に深い意味がありますね。
先日再掲した記事で、がん研有明病院の高野先生のコラムにもあったのですが、「たとえがん細胞が消えなくても、急激に進行することを抑えながら寿命を全う出来るなら、それはもう完治を同じではないか」という言葉。
これを最初に読んだ時は、価値観が変わるほどの思いでした。
がんが治るか治らないか=体に存在するかしないか、という二者択一的な考え方を、がんには罹っていない私でさえ持っていたからです。
山崎医師が目指されているところは、がん細胞が体にありながら生きる「命の時間」の過ごし方に、選択肢を提供しようと言うものかと思います。
たとえ完全にがん細胞が消滅しないとわかっていても、副作用の強い抗がん剤を定量用いて抑えながら生きる、というのがこれまでの唯一の過ごし方と言えます。大抵の場合は、辛い副作用に耐え続けて、次第に身体能力自体が衰えていってしまうというリスクもあり、生活の質は良いものにはなりにくく、更に抗がん剤の毒性によって命を落とすこともしばしばある、というものです。
現在、山崎医師が身を持って試されているのは、基本的に抗がん剤治療は行わず、食事療法などの体にやさしい方法を実施しながら、がんが暴れ出すのを抑えながら生きるぞ、というものです。
もちろん、抗がん剤を入れ続けるやり方よりも、予後がずっと短くなってしまうなら、これはもう半ば自殺行為と言えるわけですが、山崎医師に関しては、今のところそういうわけではない、とのことです。
抗がん剤を止めて約4年経過の現時点でも、がんは”小康状態”を保っており、もちろん生活の質も概ね良好な状態が続いているとのこと。
別のインタビューで仰っていたのですが、抗がん剤を止めた途端にまずは体調が一気に好転するということを仰っていました。
まさに高野先生が仰るところの一歩が、山崎医師には起きていると言えるのではないでしょうか。
ただ現時点では、「どうぞこの食事療法主体のやり方を試してください」なんてことは言えません。
現在、患者さんたちが臨床試験を実施しておられるようですから、その評価の後ではじめて言える可能性が出てくるものだと思っています。
ご自分の命をかけて臨床試験に臨んでおられるみなさまには、頭が下がる思いです。
こちらの記事でのもう一つの焦点は、死生観です。
死生観、死ぬとは何なのか、ということであり、命とは何なのか、ということでもあり、それはつまり、死んだらどこに行くのか、ということでもあります。
私自身の考えを言いますと、まず、私は一回も死んだことが無いので、死後どうなるのかについては何もわかりません。
また、この世の中には、誰一人として一回死んできたよ、という方はいらっしゃらないわけで、有力な証言情報などはありません。
ですから、私にとってのそれ=死生観は、いわば主義とか思想であったり、信仰であったり、切なる願いであったりすることになりますが、現代世界のエビデンス”嗜好”からすると、無いもの、とされても当然かな、と思っています。
そもそも一回死んで来ることが不可能のこの世界で、エビデンスを作ることすら不可能なのに、それを再現性とか客観性の伴うエビデンス”嗜好”で考える方がおかしいとも思いますが。
私は、その主義・思想とか信仰心、願いの領域全てで、死後の世界はあると信じています。
ちょっと違う観点で言うと、、、、
もし「そんなものは無い」というエビデンス”嗜好”で生きていて、本当に昔から言われるような天国と地獄があったとしたら、やがて、何の準備も出来ていない丸腰の状態で死後の世界に飛び込むことになってしまいます。それでその地獄に行かされたら後悔してもしきれません。
ちょっとおかしな話になってしまい申し訳ありませんが、私はそういう意味で、今生きることは死んでからの準備を兼ねているんだと思っているところがあるんです。
山崎医師はお医者様として、多くの患者さんを看取ってこられました。そういう背景から来る、やはり、思想などなどの領域で「死後の世界はなくてはならない」と仰っているニュアンスはなんとなくわかります。
いずれにしても、有るか無いか、については、決定的な結論が出ないものです。
それなら、どんな考えで今を生きるのがご自分にとって幸せなのか、だけを基準にしてみても良いのかなあ、と思います。
それもまた、生活の質に関わる話ですから。
くだらん持論を展開して恐縮です。